おつかれ

一所懸命働いた、足がパンパンで、肩が上がらず、もうどうしようもない

まだやることは山のように残っているが、もうこれ以上動ける気がしない

ごはんを食べたい、眠りたい、コーヒーを飲んで、原稿を書きたい

まだ働かなきゃいけない、子供たちがいて、あれやこれやと、俺の稼ぎじゃどうしょうもない

ビールが飲みたい、美の巨人たちが見たい、日曜美術館ゴッホの特集が見たい

つかれた、すこし休憩しなくちゃならない、あたたかいスープを飲ませてほしい

終わるのだろうか、いつか終わりが来るのだろうか、

何も見えない、明日が怖い、どうしよう

ひどくつかれた

言いたいことを言う

誰も彼も他人を気にするな、自分のできること、やらなければならないことをやれと言う。それができれば苦労はしない。そういう人間は他人のことを気にする必要のない、心に余裕のある人だ。

できることをやっている、それこそ毎晩遅くまで働いて、ヘロヘロになって家に帰り飯食って寝る以外ない。上の子の不登校が学費の高額な私学に行って収まって笑顔が戻ったと思えば、今度は下の子が不登校になり頭を抱えざるをえない。金銭的に厳しく、嫁の実家俺の実家から援助してもらって、やっとこさ成り立っている。

どうして心に余裕が持てるだろう。金銭的にも精神的にもギブアップしてもおかしくないのにここまでもっているのは、嫁の天真爛漫さと俺の頑固さ頑なさの賜物だろう。

心が美しいってことは、この世にはもう必要ないような気分になるときがある。強さ、戦い、それだけだ。ビールも飲んでない。毎日チューハイだ。

合理的な生き方なんてできない。俺は詩人で、物質主義のはびこる現代で言葉だけで、この小さな叫びだけで戦うのだ。ホワイトもブラックも関係ない。自分の生き方をつらぬけ!

ホントのこと

今日は休みで娘の学校の学習発表会とやらだった。なんだかよくわからないけど、最初は合唱だったりしてあんまり興味がない感じだったけど、後半はパワーポイントを使ったプレゼンテーションでそれがとても凝っていて、おもしろいものがあったり、真面目な発表があったりして、なんだか僕はこの学校って変わってるなって思った。

長時間座ってると疲れてきて眠くなってきて、帰りたくなるのだけれど、今日は大人になって我慢して、最後まで見た。そして娘が出てくるのを待って一緒に帰った。

目が痛い。寒い。洗車をした。買い物に行った。今から風呂に入る。ああそうだ、録画しないといかん。美の巨人たちをとらないと。

昭和のこと

サザエさんでマスオさんが会社の屋上で、女子社員と昼休みに楽しげにバレーボールをするというシーンがあった。あったかどうかは定かではないが、イメージとしてはあったような気がするし、別にサザエさんじゃなくても他のアニメでもかまわない。昼休みに女子社員と屋上でバレーボールをしてること自体が、今ではあり得ないからだ。

どうして今女子社員と昼休みにバレーボールができないのか。簡単なことだ。世知辛い世の中になったからだ。妬み嫉みの世の中になったからだ。SNSがすべてをぶちまけてしまうからだ。さながらゴミ箱をひっくり返してあさり、ゴシップや金のなる木を皆探すからだ。

仲のいい女子社員なんて今は存在しない。一緒に弁当すら食べれない。そんなことしたらあることないこと噂が立ってめちゃくちゃになって働きにくくなる。

バレーボール?そんなことしたら誰かがFacebookTwitterにあげて、あることないこと陰口たたかれ、その女子社員も贔屓されてるだのなんだのと、居心地が悪くなること間違いないからだ。仲良くなると噂が立ち、仲が悪くなると噂が立ち、面倒ったらありゃしない。みなどうして社内恋愛なんぞしてるんだろうって思う。

他人のことに皆首を突っ込みすぎだ。みな自分が他人と比べて幸せじゃないと思ってる。裕福じゃないと思ってる。だから人をうらやむ。他人と幸せを比べたってしょうがない。バカみたいだ。頭が悪すぎる。自分の中の基準でものを考えられない。誰だったか現代人について「我思わず、故に我なし」と気の利いたことを言った人がいたが、まったくその通りだと思う。

俺はいろんな人と仲良くなりたかったよ。でももうそういう時代じゃない。馬鹿話して、酒でも飲んで、大笑いしてたかったよ。でも俺は年をとった。妬まれるようなものは何もないけど、愛情だけは忘れずに持ち続けたいね。寂しいけど俺は愛情過多なのかもしれんね。ねえ、らもさん。「いいんだぜ」を歌ってくれよ。

イメージ

何となく生きている

難しいことはわからない

ボブ・ディランに聞いたらわかるだろうか

ノーベル賞をもらうぐらい賢かったら俺も

もっとしっかり地に足を着けて

明日のこともしっかり考えて

社会のこと政治のこともしっかり理解して

右に行かなきゃならないときに左に行ったり

しゃべらなきゃならないときに便所にいったり

そんなとんちんかんなことせずにすむのに

うまく正解にたどり着けずに迷ってばかりいる

ボーッと生きてるからだろうか

みんなぱっちりオメメできれいな服を着て

おいしいものを食べてほどよく酔っぱらって

幸せそうに見える

歌はおまえはそのままでいいじゃないかというが

そのままじゃ誰にも相手にされず寂しい思いをするだけなんだけど

それでもいいっていうなら犬っころでも飼って

尻尾がちぎれるぐらい相手してもらおうか

それともジムのいうように忘れることを学ぼうか

修羅にはなれそうにないし、煩悩ははてしなく

イメージは浮かんでは消えて具象にからめ取られる

ダンスなんてできない

僕はダンスなんてできない。やったこともないし、やろうと思ったこともないし、うまくできそうにない。体を動かすのは嫌いじゃないけど、ディスコやクラブに行ったこともない。音楽に合わせて踊るってことを、人生今の今までほとんどやらなかった。

ほとんどというのは学校の授業や体育祭でかろうじて、マドンナやらシンディ・ローパーやらを踊ったような記憶があるだけで、うまく踊れたような気がしない。盆踊りでさえたぶん踊れないだろう。

僕は音楽が好きなんだが、ビート・リズムより、旋律、音色、そういうものを重視して聞いているような気がする。テクノは通過してないし、それよりもソウルフルなものに愛情を抱くのだ。

俺は昔はテクノとかをピコピコサウンドといって軽蔑していた。今は軽蔑なんぞしてないが、積極的に聞くということはない。リズム・ビートが先行するとメロディーが後回しになって、気持ちが入っていかない。音色、声というのも俺にとっては、重要で声がちょっと変わっただけでも、聞かなくなる歌手もいる。

俺がダンスに興味がなくて、ジム・モリスンの詩集やT・REXの詩集を読みふけっていたのは偶然ではない。歌からビートを読みとるのではなく、意味を読みとろうとしていた。今もそうかもしれない。

音楽番組を見ているとバンドは少なくアイドルばかりだ。アイドルは踊る。みんなで。子供の頃ピンクレディーが大流行していて踊るのは女の子のすること、と思ったのかもしれない。男の子は踊ったりしないと勝手に決めつけたのかもしれない。チャラチャラした感じが気に入らなかったのかもしれない。

アイドルに想いを寄せたことはない。俺の中で歌はバンドが歌うものだという固定観念があって、その呪縛から抜け出れないのだろう。

三つ子の魂百まで、で子供の頃培った考え方は簡単に抜け出れそうにないし、抜け出なくてもあんまり誰にも迷惑がかからないだろうと思っているので、俺はダンスを軽く見たまま、この先も過ごすのだろう。いいジャマイカ。

ブロガー

ブロガーっていう人はたくさんいる。それでお金を稼いでいる人もいるし、自分の趣味にしている人もいる。書くことも様々で、俺も含めて皆いろんな事を書く。だけど何かを書き続ける人はあんまり多くないように思う。

近頃では情報、インスタ映えなどが重要で、そういうのに疎い俺はあんまり写真もあげないし、食べ物の情報、お買い得な情報など縁遠い。

俺が普段書くことといえば、もっぱら会社、世の中、倫理的なこと、音楽のこと、グチなど。身の回りの生き難さを書いている。

美しい可愛いものを見ても、俺はあんまりわかんない。目が悪い。ちゃんと見えない。見えないということは、存在しないという事なので、ぼんやりした美しさのことはよくわかるが、細密なもの、色合いなどはさっぱりわからない。食べ物に関しても、普段モスバーガー以上に高級なものを食べないので、あんまりなにもかくことがない。情報なんてなにもない。みんなが仕入れてきた情報にくっついていってあれやこれや、するだけなので。

子供が高校生と中学生になりお金がかかる。それはしょうがないし、俺も金がかかったほうだが、俺の今の給料じゃ到底太刀打ちできそうにない。だからって俺に何ができる。そうストリートでロックする以外に何ができるってんだ。

みんな少し書いてはやめていく。それには思ったより面白くないとか、反応がないとか、そういったことなのだろうか。文章なんて簡単だ。思ったことを書けばいい。今飲んでいるビールの銘柄を書けばいい。聴いてる音楽の悪口を書けばいい。M-1とろサーモンより和牛のほうが面白かった理由を思い切り書けばいい。

布団の中に秘めた思いを書けばいいでしょ。