寝た

昨日はゆっくり寝た。朝起きた時に清々しくて、あのドロドロの体が嘘のようだ。

薬が切れたのだろうか、朝一だけは、ほとんど昔みたいに、見える日がある。そんな日は1日ウキウキして、ご機嫌さんだ。

そういえばこの間、保険屋さんから電話がかかってきて、やっぱりこの病気じゃ、新しく保険に入り直せないらしい。びょういんの検査結果をおくったんだけど、何がダメだったか、教えてくれって行ったら、個人情報うんぬんって言うので、それは俺の個人情報だから、教えてくれてしかるべきものだ、って言った。

薬がダメなのだろうか。それとも、もう俺には選択肢はないのだろうか。ステロイド免疫抑制剤睡眠薬、安定剤、骨粗しょう症の薬、胃薬、バカみたいに薬塗れだ。俺は改めて病人であることを思い知らされる。しかし俺がそういう重病人であることを知ってる人は少ない。見た目は普通だし、仕事もとりあえずしてるし、ただ、山ほど薬を飲んでいるだけだ。

マイケル・コナリーのテリー・マッケイレブを思い出す。心臓移植した捜査官だ。オレンジジュースで大量の薬を飲むシーンが出てくる。でも相棒のおっちゃんと釣り船やみたいなのを経営していた。シエロ・アズールって子供に名前をつけた、ような気がする。青空。最近は空を見上げることも、少なくなった。

寝なくても死にはしない

昨日はほとんど寝れなかった。病気してから薬の影響で寝れなくて、睡眠薬を飲んでいる。それでも時々どうしても寝れない日がある。昨日はほとんど寝れなかった。夜中の1時に起きて、起床時間の5時半まで、ツールドフランスを見たり、音楽を聴いたり、水を飲んだりしてみたが、起きなければならない時間近くになって、ようやく眠気がおそってきて、こりゃ、仕事に行くのが、面倒くさいなと思った。

マット・スカダーだったか、誰だったか思い出せないが、睡眠不足で死んだ奴はいないというセリフがあった。睡眠不足が直接の原因で死ぬことはないだろう。しかし、間接的な要因では睡眠不足は死にとても近いものであると思う。たとえばボーッとしてて、交通事故に遭うなど、疲労が重なって心筋梗塞になったりするかもしれない。でも寝てないというだけで死にはしない。だから僕は寝てなくても心配しない。むしろ寝てない方がいろいろ余計なことを考えなくて、頭の中がシンプルなときがある。とにかく目の前のことを追いかけることしかできない、それぐらい寝不足な方が、オレの仕事は時にはいいのかもしれない。

ツールドフランスサッシャと栗村さんの声を聞きながら何度寝たことだろう。のんびりしたスプリントステージでは、最後の10キロ見れば十分だと思う。だけど今年はスプリントステージでも6時間ぐらい放送があって、何だかなあ、って思うときもある。

今日も無事一日が終わった。明日にたどり着けるだろう。みんなどうなんだろう。俺はビールと睡眠薬で、明日にワープしようと思っている。白血球とγーgdpが異常な値でも俺はまだ死なないのだろう。

なんでもないや

今日もいやがる娘を無理矢理起こして学校へ行くように、説得した。なぜ説得しなけりゃ、学校へ行かないのか、もうそれは俺の精神が崩壊するのが先か、彼女の引きこもりが勝つかの戦いでもあるんだけれど、何かを変えるためには、長く厳しい戦いをする以外に方法はないのだと思う。

いつも思うのだ。何事も時間がかかる。でも時間をかければきっとわかってもらえる。そんな日が来る。俺は清志郎の歌のようにそう思うのだ。おれは戦い続けるのだ。俺はチャンピオンではないけれど、最後まで、オレなりのやり方で、そう重いギヤで六甲山をギリギリと歯を食いしばって登るように、ゆっくりと汗をかきながら、一こぎ一こぎ力一杯踏ん張って、前に進むのだ。

今日よりも一ミリでも前に進んでいたら、オレにとっては、明日はもっといい日になるだろう。

良かったような、そうでもないような

今週のお題

僕は関西ではそこそこ有名な大学に進学し、4年で卒業した。そして新卒で就職をした会社を半年で辞め、大学に戻り先生の手伝いなるものを数年やって、それもやめプラプラと何もせず半年ぐらい暮らした。

今思うと、間違った選択というか、良くない方向に向かって人生の舵を変えていったのだと思う。しかし当時の僕、今の僕もそうだが、どうにも人が苦手なのだろう。心の奥で人嫌いが前に出てしまい、積極的にいい選択をはずしてしまう。

俺はおかしな人間で、人に合わすのが苦手だ。そういう人間はいっぱいいるとは思うのだが、それでもみんな何とか、社会生活を送っているのだろう。

その後大病し、今は半隠居生活を送っている。

半年家にいて、昼頃起きて炒飯を作った。ほとんど毎日作った。バリエーションを増やし、レタス、卵混ぜ、甜麺醤、豆板醤、いろいろ調味料も試してみた。

20代の合計2年間ぐらいおれは全くのプー太郎で、まあいってみればそのつけが今まわりまわって、俺をじわじわ苦しめているのかもしれない。しかし元来俺は脳天気で先のことは気にせずなるようになるさ、と生きてきた。いいのか、悪いのか、そんなことはどうでもいいのだ。今自分にできることをする。

もし俺がジョン・レノンみたいに主夫になったら、ご飯を食べに来ておくれ。

書きたいこと

先日亡くなった小林麻央さんについて、小田嶋さんが少ししゃべっていたのと、中国でノーベル平和賞をもらった劉暁波氏がガンで死去した件で少し思うところがあり、今日は今週のお題でもやっつけようと思っていたところを変更して、少しつぶやいてみる。

小田嶋さんは闘病中の人間が持つ、シンプルさ、余計な物を選べない状況について、また生きること、それを書き残すことのシンプルな文章についてとても良いブログだったと言ってました。僕は小林さんのブログは読んだことはありませんが何となくどういうものかわかります。

僕も失明して入院している間、同じような文章をスケッチブックにマジックで書いていたから。自分では読めなかったけれど、たぶんこう書いてあるだろうという感覚で書いていた。内容は今の病気と切実に向き合い、治るのか死ぬのか、見えるのか、見えないのか、これからどうするのか、子供のこと家族のこと、それらを赤裸々に切実にかいていたからだ。そこにはなんの飾りもなく、不安、希望、悲しみ、喜び、それらがストレートになってない交ぜになって、ぶつけられていた。

劉暁波さんのことは今回のことで初めて知った。いろいろプロフィールを読んでいると、とにかく中国の民主化のために尽力したことが伝わってくる。「私には敵はいない」単純にその言葉だけでも、彼の人柄が伝わってくる。政治犯として何回も中国共産党に捕まりながら、敵はいない、として反体制ではなく非体制として行動していた、と聞く。自分の力の大きさ強さ、そして知恵の使い方をよくわかっていたのんじゃないだろうか。

とにかく僕はこの二人に共通するであろうなにかを感じた。憎しみという概念がこの二人からは見えてこないのだ。あくまでも懐の深い愛情豊かな人たちで、僕は見習いたいと思う。

動かない

体が動かない。物理的に動かないのではなく、運動能力が落ちている。今日、朝いつものように10キロ走った。だけど走り出しも重く、心拍も上がらない。朝から気温が高かったせいもあるのかもしれないけれど、本来上がるべき心拍数のところまで上がらないし、最後のラストスパートであげるべきスピードまで上がらない。

ただただ苦しい時間が続く。先週の日曜日以来のランとはいえ、ここまで走れないのは、ちょっと寂しい。

珍しくその後、少し寝た。買いたい物があって梅田に出ようと思っていたのだけれど、子供が昼頃に帰ってくるというので、家にいた。ツールドフランスを見ようとビデオをつけたのはいいが、すぐに寝落ちしてしまった。

薬の加減であんまりゆっくり寝ることができない。眠りが浅く睡眠薬を常用している。俺は生きていくには、はなはだ不自由になった。だからシンプルに生きよう。そんなことはどうでもいいか。

良い歌があれば生きるのはたやすい。そうだろう?フレディ。

嫁のバイト先

嫁がバイト先を変える。我が家がもろもろの事情で台所が厳しく今のパートでは、なかなかそこまで時間を入れてもらえないからだ。

新しいバイト先は長く働くことができるらしく、おまけに日曜休みで朝から動ける。とにかく我が家に再び調和というか、なんというかやってくるかもしれない。

時給千円。今までが今までだから、どうなるかわからないけれど、彼女は比較的忍耐強いので、最後の最後まで頑張ってくれるだろう。

後は子供たちの心配をしなけりゃならん。なかなか一筋縄ではいかない子供たちなので、だましだましやるしかないか。