怖くない

人は理解できな物を怖がる。見えない物を怖がる。言い換えれば理解できれば、何も怖くない。見える物は怖くない。

古来神様、お化け、雷、など、理解できない物は神聖なものとして、畏怖の対象であった。しかし現代ではそういったもろもろは科学的に解明されつつあり、みんな怖がらなくなった。現代で今一般的におそれられているのは、細菌やウィルスだ。細菌やウィルスは目に見えないし、発生のメカニズム、伝播の方法などわからない部分が多い。だからみんなやたらめったら、除菌、殺菌したがる。もちろん悪性の菌やウィルス二かかれば病気になったり、ひどいときは死に至る場合もある。だから怖くても当然といえば当然なんだけど、それを言えば、自動車も自転車も致死率で行くとエボラ出血熱で死ぬよりか、遙かに高い。自動車事故死で調べたけれど、交通事故、死者数は平成27年度は4117人で一日平均11.?人だった。

俺たちは本当は細菌よりも自動車の方を怖がらなくてはならない。でも日本から自動車産業やそれに関連する仕事を奪ってしまうわけにはいかない。みんなが車を買わなくなったら、死亡事故は減るだろうが、日本が少し貧乏になるだろう。

俺は細菌もウィルスもそんなには恐れてはいない。俺は昭和生まれの子供で道に落ちたアメちゃんだって平気で食べれる。

大掃除その二

昨日子供部屋を大掃除した。姉の部屋だ。弟の部屋はこの前やったから、今度は姉の部屋だ。

いろんな物がたまっていて、だいぶ驚いた。ペットボトルは6本ぐらい。あと水筒。スリッパ二足。タオル、バスタオル、中学校の時のスカート。小学校の時の教科書、ノート、プリント、付箋。俺のマンガ、嫁のマンガ。脱いだ服のオンパレード。ひどい。ひどすぎる。

片づけられない原因は一つ。判断ができない。捨てるものと、いる物の判断ができない。それに行動が遅い。いますぐやらなければならないことでも、後回しにして、それでなにもかも、詰まっていって、山積みになる。

早く早く、と思うのだが、ギリギリまで何もしないのは、嫁の遺伝だ。間違いない。漢字が書けないのは、俺の遺伝だけど。それは俺も親父から受け継いだ伝統だから、しょうがない。

漢検6級の勉強をしている。だいぶわかってきた。10月にある試験は5級で受けようかと思う。

転勤

いつものカフェの店長さんが変わった。前店長は東京へ転勤になったらしい。正直前の店長はあまりにも営業スマイルが嘘くさかったので、苦手だった。今度の店長さんは何となく好感のもてる柔らか系のような、第一印象だ。よろしくお願いしますと、挨拶をした。何となくそんなことをするのは恥ずかしいのだが。かわいらしい。

最近三日間後輩と一緒に作業をしていたのだが、今日は何だが勉強しなきゃならないとかで、後輩は家に帰ったようだ。毎日一緒にいたから、突然いなくなったようで少し寂しい。が本来小説を書くなんて一人で孤独にする作業でもある。アマチュアだろうがプロだろうがあまり変わらない。

もう来ないのだろうか。時々は来て俺の相手をしてほしい。絵を書く人だから。

一緒にやっていると時の経つのが早い。あっという間に二時間経ってしまう。俺の小説の第二部の山場にかかってきた。いっちょやったるか。

夏いろいろ

今週のお題「私の『夏うた』」

夏の歌と言えば、僕らの年代では定番ではサザンなのだが・・・・・・。

思い出を一つ。初めて彼女とデートで海に行くというので、僕は張り切ってカセットテープに俺的サザンベストを作って、ラジカセをかついで彼女と電車に揺られ、あまり人気のない海に行った。彼女は虹色のワンピースを着ていた。なぜ覚えているかっていえば、その時とった写真が長い間僕の実家の机の中に入っていたからだ。

まさに思い出の初デート。サザンの『スイカ』を持って行ったのかもしれない。勝手にシンドバッド、夏をあきらめて、チャコの海岸物語などを聞きながら、俺はバカだったのだろう。

サザンのコピーバンドで渚にしやがれというのがある。俺もそれを思いついたのだが、当然先に考えた人がいて、俺は出遅れてしまった。

保険に入れない

いつも書いている持病で保険に入れないかもしれない。そもそもこの病気になったのは保険に入ってからなので、新規にバージョンアップしようとしたら、やれ症状はどうだとか、診察の血液検査と視力検査の結果をよこせとか、保険会社が言ってきたので、そっちが新しい保険どうですかって、勧めてきたんじゃねえか、と思いながら入れない事実について少し考えてみた。

俺は持病がある。保険がおりるほど重篤じゃないが、保険に入れるほど軽微でもないという持病。目の病気だ。事故に遭う確率も高いだろう。自動車も運転している。近所をうろうろするだけだが。それでもリスクはある。

俺の血液はどうなってるんだ。俺の目はどうなってるんだ。最近は手足のしびれが少しマシになってきて、徐々にいい方向に向かってるのかなって思ってる。

保険に入りたいのかどうかさえよくわからない。勧めてきた外交員は失敗したと思っているだろう。入るのをあきらめた方がいいんじゃないか、言い方をしてきたから、ムカっときて、俺はどこに向かうのか、どうしたらいいいのかまったくわからない。

こんな些細な病気でさえちょっとした差別?イライラを生む。俺は自由と平等を愛した60年代70年代の申し子だ。中島らもジョン・レノンのロバート・B・パーカーの血脈を色濃く受け継いでいる。清志郎に自由を教わったんだ。手塚治虫に人間の尊厳を教わったんだ。俺はくそったれどもには、跪かない。

毎日のこと

毎日のことを書く。些細なことを書く。詩を書く。小説を書く。それはその時々で、自分の思ったこと、感情が揺さぶられた何かを残して置くことで、自分が何かを感じたことを、目に見える形にする。

そうすることは自分を昇華させる必要があるので、やらなきゃいけないことなのだ。アホになれ。つきぬけろ。ただいつもと同じ毎日をより最上級にするために、進化、退化、失敗を繰り返して、徐々に洗練さしていくのだ。

何も残さなければ、居ないことと同じで、それは空気みたいなものだけど、誰かが読んで、少しでも、何か考えることがあるようなら、それは書いた俺がいいことをしたということになる。

書を捨てよ、町に出ようと寺山修司は言い、ウォーク・ドント・ランと村上春樹は言い、それで俺は書けばいいじゃないという。

本日は連れがいる

本日は後輩が一緒に来たいというので、いつものカフェで二人して、何やら作業というか、僕は小説の続きを書き、連れは絵をかくというので、その用意をしてきている。

僕はそういう相手が欲しかったような気もして、気楽につき合える。連れはどちらかというと、気を使わなくても言い相手なので、安心して文章に打ち込める。

相手がいたら長くなるかもしれないので、モバイルバッテリーを買った方がいいのかもしれない。いつもは電源タップのところに移動して、続きを書くのだけれど、連れがいると、なかなか移動もままならないので、そういえばヨドバシカメラのポイントが8月いっぱいでなくなるから、どうしたこうしたと言ってきたので、それを使ってモバイルバッテリーを買おう。

連れはコーヒーではなく、フレッシュバナナオレを飲んだ。そして僕の目の前で、僕が書いた前作の小説を読んでいる。おとなしい。