応募

去年半年がかりで書き上げた小説を文学賞に応募した。当初の予定は原稿用紙2,30枚程度で、短編作品として応募する予定だったが、あれも、これも継ぎ足して、嫁とも相談しながら全部乗っけていったら、原稿用紙で250枚になり、長編として応募できる枚数になったので、わりと格式の高い文学賞に応募した。

俺としては面白い小説だと思うがみんなが面白いと思うかは、また別な話だろう。書いていて楽しかったところもあれば、つらかったところもある。思わず涙ぐんだところもあった。俺の琴線に触れてもあかんのやけどね。独りよがりになってしまっている部分も多いと思うが、読んでくれる人を頭において、楽しんでくれたらええなって、思って書いたところもある。

構想が膨らんで三部作になった。現在第二部の中盤のところを書いている。だから、第一部だけでは不完全というか回収し切れてない複線もあったりで、文学賞の受賞とまではいかないだろうけど、何とか形として残したいと思っている。

中嶋悟の言葉を思い出す。結構な確率でリタイアしていた。インタビューされていつも彼は「次がんばります」と応えていた。俺もまた次がんばります。だ

いいことばかりありゃしない

昨日は白バイには捕まらなかったが、いいことばかりありゃしない。月光仮面仮面ライダーもこないし、意味もなく逆ギレされて、こっちは???だ。金が欲しくて働いて、でも十分じゃない。子供らを学校にやるために借金しなきゃならない。小遣いももらえず、ピーピーいってる。

赤貧洗うが如しってわけじゃないけど、毎日の食べる物に困るわけじゃないけど、どうにもこうにも困ったもんだ。ストレスを感じる。ゆっくり休もう。みなカリカリしてついていけない。心がすり減っていって、弱ってるんだ。俺はまたソラナックスをのみプロチゾラムを飲んで眠るのだろう。

お金があれば働かなくていいのに。金が欲しくて働いて眠るだけ。幸せでいい気になって、笑ってたら、へまをしてこのざまだ。まあいい。今に見ていろ。俺は負けない。くそっ。

それでも喫茶店でコーヒー飲んで、何も変わっちゃいないことに気づく。忌野清志郎はとってもわかりやすい歌詞を書く。おれも時々みんなが俺を食い物にしようとするから、時々手を抜いてみんなけちらしてやるんだ。

いいことなんかあったかどうか思い出せない。どっちにしても昔の話だ。それでも、俺は生きているし、怒髪天の曲でも聴いて、生きる力をもらうのだろう。

お休み

ああ、あしたは休もう 

もう疲れちゃって限界いっぱいなんだ

ジョンだって育休とったし

珠ちゃんだって子供産むから休むっていってるし

俺はそんなにも強くないから

そんなにも明るくないから

休んじゃって一日音楽聴いたり

大日如来を眺めたりして過ごすんだ

布団の中でごろごろしながら

高校の時に好きだった女の子を思い出したり

嫁に隠れて学生の時に付き合っていた女の子にメールするんだ

だからゆっくり休んで、いろんな歯車から外れて

油を差して、きしんだところをまた綺麗にして

ビールのんで風呂に浸かってラジオ聴いて

嫁の落ちのない話をぼんやり聞いて

おにぎりせんべい食べてカスをボロボロ落として怒られよう

俺はなんにもできないから明日はゆっくり休んで

昇華するんだ

ホワイトデー

本日はホワイトデーです。しかし、物は昨日あげたのでもうありません。ああ、あの子にプレミオをあげるのを忘れていた。

本当はもう一枚CDを買っていた。こっちが一押しで、昨日あげたやつは、二番手のやつ。試聴してあんまり良かったのであげようと思ったんだけれど、それすらもったいなくなって、一人お返しをゴメンしてもらって、スライドで自分のCDにしてしまった。そういうことするから俺って、憎まれるっていうか人気がないんやろうけど。俺は基本物欲があまりないんやけど、CDと本に関しては収集癖があるので、いい物は人にあげるのはもったいないと思ってしまう。

せこい。あげてから、貸してもらったらええねんけどね。かなり我慢した。なにもかも喋りたくなったけど、がまんして黙っていた。最近は喋るより黙ってることの方が多い。もうええ歳やし、それなりに影響力のある立場になってしまったから。うかつに変な事言われへん。

可愛らしい女の子が写っているCD。iTunesにいれてない。バンジョーがはいってた。今度またそのCDの記事を書きます。

マヌーシュ・ジャズ

マヌーシュ・ジャズというジャンルがあることを初めて知った。昨日ホワイトデーだったので音楽好きな女の子にCDをあげるためにタワーレコードに行った。試聴コーナーでいくつか聞いて、おおこれは、と思ったやつをあげた。それはルーシー・ディクソンの「lulu's back in town」っていうやつだった。今調べてみたらマヌーシュ・ジャズっていうジャンルで、ジャンゴ・ラインハルトの直系のジャズみたいでギターのアンサンブルが特徴みたいだ。

ジャンゴ・ラインハルトって名前だけしか知らないけど、めっちゃギターが上手いイメージ。ジプシージャズなんて言い方もあるみたいだが、差別的な言い方になるようで、「ロカ」という、みたいなことが書いてあった。

いずれにしても音楽なんてかっこよくて、心地よければそれでよし。ロックだろうがジャズだろうがポップスだろうが関係ない。それは聞く人が後付けで勝手に分類しただけで、評論家むけの話。

ジャケットもおしゃれだったし、ホワイトデーのお返しとしてはかっこいいんじゃない。タワーレコードもなかなかセンスいいじゃん。なんて俺に言われたないか。買って開封せずにあげたので、良さげやったら貸してって言った。せこい?ごめん。

DAZN

DAZNっていったいなにものだ。俺のジロデイタリアを返せ。なぜそんな意地悪をするのだ。俺はスカパー!にちゃんとお金を払っている。なぜジロを放送しない。ミラノ~サンレモも放送がない。ロンバルディアも。ツール・デ・フランドルもない。どういうことだ。DAZN。もう俺の楽しみをこれ以上奪わないでくれ。いろんな事を我慢してるじゃないか。誰とも遊ばず、ギャンブルもせず、自転車もやめて、ランニングしてるだけじゃないか。

なぜだ。俺は怒っている。放映権ってなんだ。スカパー!もジロを放送しろ。いいかげんにしろ。

しかし俺がサイクルロードレースにはまったきっかけはまさにスカパー!に入ってたことだ。そもそもの始まりはセリエAを見るためにWOWOWに入っていたのだ。それがいつの間にかスカパー!に移り、それじゃあとWOWOWからスカパー!に乗り換えた。しばらくはサッカーを見ていたが、サイクルロードレースなるものに出会ってしまった。もう十年以上前だ。ランスが現役で、シモーニクネゴがやりあってたときだ。俺はそれを見て、心をときめかせた。ディスカバリーチャンネルの列車、おきざれにされ攻撃できないTモバイルのウルリッヒ。遅れる選手に悲鳴を上げる白戸さんと栗村修。ドロミテの美しい景色。ドーピング全盛期からバイオロジカルパスポートを経て、クリーンになりつつあった時代。俺はドーパーもクリーンな選手も好きだった。

どちらにしても彼らは超人的で美しく、アシストの選手は汚れ仕事をし、エースはそれに応えようと踏ん張る。そんな彼らのチームワークがうらやましくあった。しかしサイクルロードレースの世界でもくだらない足の引っ張り合いの話も聞こえてくる。

だけれども一度自転車にまたがってしまえば、一番早くゴールを駆け抜けたものが勝者でそれ以外は敗者ということになる。運不運、実力、サポート、いろんな要素があっても勝つのは一握りの選手だ。とにかくミュールがなくなってさみしくなったフランドルでもみたいのだ。カンチェラーラがいなくなってもボーネンが引退しても。春のクラシックは最高だし、雪のチマコッピは俺を熱くする。それ以外に俺の心を揺さぶるものがあるだろうか。

バカになってよ

今週のお題 20年ぐらい前携帯を落とした。ドコモだった。当時マメゾウというキャラクターが動く携帯が流行っていて、それに変えた。ジェーフォンだった。当時付き合っていた彼女も同じやつにした。マメゾウが喋ったのか動いたのか、なんだったのかよく覚えていない。

彼女とよくメールのやりとりをした。お互い実家暮らしで、あんまり会うこともなかったから、メールはよくした。芸能人格付けチェックという番組で俺は必死になって答えを送った。彼女もつきあってお互い答えを送り会った。俺は音感には自信があったので、高額楽器チェックを楽しみにしていました。

Aだ、Bだとメールを送りあって、間違ったり正解だったり、センスがあったりなかったり今となってはどうでもいい話をくりかえしていた。

その彼女と結婚して今は16年経った。子供も二人いる。俺たちは携帯でコミュニケーションをとりだした最初の世代じゃないだろうか。今でもだいたい毎日LINEをしてる。