イコライザ

音楽が好きだ。何でも聞く。ポップス、ロック、ジャズ、ブルース、フォーク、カントリー。演歌以外はだいたい守備範囲だ。音質にはこだわらないたちだが、ヘッドフォンはいいのを使っている。

しかしながら、イコライザをいじることは今までしてなかった。というか思いつきもしなかった。やっぱり小さなイヤフォンでは低音部が不足しがちだ。

ネットで調べてみたらiPhoneでもiTunesでも色々いじって自分好みにカスタマイズするといいみたいだ。

iTunesでは「完璧」というセッティングがあるらしい。iPhoneでも何種類か既定のイコライジングが入っていて低音域強化するやつにしてみた。たしかにベース音やドラムは強調されたけど、ボーカルものとかブラシの音とかそういうのほしいときとはどうするんやろう。

聴くアルバムにあわせてセッティングを変えるのは面倒や。スモールスピーカーみたいなセッティングもあったけど、どんなんかな。

聴く音楽がわりと同じ種類のものならいいけど、俺の場合は雑種やから。フランス料理のフルコースに全部醤油かけるようなまねは、でけへんやろ。

それでもプロデューサーのうでにもかかっているよな。これって。ミキシング具合って微妙やもん。ジョージ・マーティンの発展系がトニー・ヴィスコンティみたいな。

常識

俺はいつも非常識だと言われる。自覚症状もうっすらある。いろんなところで、いろんなタイミングで人と違うことをしているし、それをおかしいと思わない。

昔で言うところの変わり者というやつ。ストレンジャー。俺は他人に合わせるのが苦手なだけなのだ。それこそが非常識と言われるゆえんなんだが。ぱっと見は普通に見えるので常識がある人と思って近づく人もいてるが、数ヶ月でこの人ちょっとおかしい、と思われる。

幸い最近は病気を理由に、あれこれ逃げ回っているが、本質的に非常識なのだ。

うまくいえんが常識派は多数派で非常識は少数派である。善悪や正しさ、間違いは関係ない。非常識なことも多数がやれば常識にいつの間にか変わっていく。赤信号みんながわたれば青信号。ということになる。

とにかく社会とすり合わせてやっていくには、骨が折れる。

悲しみの果てに

気に入らない、どいつもこいつも、いったい

どういうつもりだ

怒ってるんだ、そして悲しんでいるんだ

俺は優しさでできているんだ、どうしてわざわざ

あの子を傷つけなきゃならない、どうしてそれを

俺がやらなきゃいけない、どうして、どうして、どうして

バカみたい、いい大人がそろいもそろって何おびえてやがる

そうさ、世界中気が狂っているから、おびえているのさ

俺は生きるんだ、まっすぐ生きるんだ

クソどもを蹴散らして、愛を守りながら生きるんだ

目に見えるものにおびえて、目に見えないものにもっとおびえて

死者の列に並び、苦しむがいい

俺は自力で空高く飛び太陽の熱で燃え尽きるんだ

もっと愛がいる、もっと愛がいる、

胸いっぱいの愛がいる

携帯電話

下の子供が中1になり、携帯電話デビューした。ますます我が家はオタク家族として、世間から孤立しこっそりと、ひっそりと生きていく羽目になるだろう。

俺はいわゆる常識人ではない。なぜなら人より遙かに賢いからだ。だから世間の常識がばかばかしく思えて仕方ないのだ。でもそういう人っていっぱいいると思うけど。でもうまく世間と折り合うほどの、懐の深さがないのだ。嫁は「私はそんなに賢くないけど、一番常識があるという。」嫁が常識人かどうかはともかく、人は何か欠落が大きいほど、人間としての味や、悲しみ、喜びに精通するように思う。賢いというのは中途半端ではしんどいだけなのだ。遙かに突き抜けないと大人になれなくて、子供のままでもいれなくて、政治に巻き込まれてすり減っていくしかないのだ。

ウチの子供たちは悩み多き人生を送るのかもしれない。でもやりたいことを見つけて、一生懸命生きてくれれば俺はそれで十分だと思う。携帯電話は難しい。知識だけは詰まっているが、人間が使うにはあんまりにも情報が煩雑で、みな右往左往してるじゃないか。

それでも下の子だけもってないのは、あんまりかわいそうだったので持たしてあげたんだが。ゲームばっかするんやろうな・・・

職業

何になりたいか。それは重要な問題でもある。自分のなりたいものになるというのは、一見とても幸福そうだ。しかしどの職業についても適正、非適正、嫌なこと、いいこと、いろいろあるわけで、夢を見るのはいいことだし応援したいと思う。でも職業もまたなった時がゴールではなく、その職業に就いたときがスタートであり、苦労が始まると思って間違いない。そして職業的スキルよりも人間的スキルを求められ、いわゆる常識力がものをいう社会構造になっている。

職業的スキルが桁はずれて抜きんでていれば、多少のワガママは通るかもしれないけど、そうでないなら社会の複雑なシステムを受け入れる準備をしていたほうがよい。

結局何をしても同じで、だから好きなことをしたいのだけれど、お金を産まないので何とかやりくりしなきゃならない。俺の時間には限りがあるし、目もあんまり見えないし。

サラリーマンになりたい、そういう子供はどういう意味でサラリーマンを見ているのだろうか。自分の親?テレビの中?サラリーマンでも日雇い人夫でも社長でも、それなりに苦労はせなあかんよ。残念ながら

シャッフル

iPhoneに入ってる音楽をシャッフルで聴く。久しく聴いてなかった曲がかかり、おお、と思う。Coccoのポロメリアを聴いてしみじみいい曲だなって思ったり、ノラジョーンズのブルーヘブンを聴いてかっこいいなあ、と思ったり、自分の中でイントロ当てクイズをしてみたり、俺はほとんどCDを買う派なので、あんまりレンタルのやつはない。

昔は洋楽がほとんどだったけど最近は邦楽とジャズが増えてきて、どれも拮抗してる。アルバムを一枚通して聴くのが好きなのだけれど、シャッフルもなかなかいいもんですね。

レンタルだと一枚のありがたみというか、そういうのがないので聞き込むことが少なくなった。流し聴きみたいになって、作ってる人に申し訳ないきもする。アレンジが気になるほうなので、ベースだけ注目して聴いてみたり、バスドラの入り方を聴いてみたり、コード進行を追ってみたりと、そんなじっくり聴くことも少なくなった。

ミキシングがボーカルよりのやつはどうも歌謡曲に近づくので、おもしろくない。個人的にはリズム隊やギターのカッティングが前にきてるほうが好きなんだけど。

歌詞は大事だけどあんまり英語力がないのですぐにはぱっとわからない。でもメロディがきれいで、リフがかっこよければいいんだけど。「悪魔を憐れむ歌」みたいな引っかかりがいいね。

俺の歌を聴け

今週のお題「カラオケの十八番」

俺の歌を聴け、なんて書くと某有名作家のデビュー作みたいで気が引けるが、カラオケに望む態度としてはそういう感じで歌うひとがいてますよね。ほとんど歌わない人もいるし、カラオケの楽しみかたって人それぞれだとは思うんですが、僕はどちらかというと陶酔型なので、入りこんでしまって自己完結するんです。

僕はフレディ・マーキュリーの生まれ変わりなので、もちろん歌う曲は「ボヘミアン・ラプソディ」ですね。もちろん、立ち上がって画面見ないで、座ってる人のほうを向いて歌うんです。「母さん、俺人を殺しちまった・・・ガリレオガリレオ・・・」オペラ的な要素もばっちり歌い込んで、一人で何役もやるのは、結構大変なんだけど、慣れてしまったし、もう25年ぐらい歌ってるし・・・。

初めて歌ったのは軽音部の夏合宿で宴会バンドをやることになって俺は当時ベーシストだったんだけど、ボーカルになってマジックで髭を書いて、オールバックにして、ビールの海の中「ボヘミアン・ラプソディ」を歌ったんだ。フルチンで・・・。

もちろんフルチンで歌う必然性はなかったんだけど、ただ何となく合宿の打ち上げ的なバンドだったので、勢い余って脱いじゃったんだよね。脱いじゃったんだよねやあらへん。昔の話ですよ。時効。それも閉じられた空間の中だから。

だいたい軽音の女子たちは俺の祖チンを見たぐらいでは、なんともおもわない。汚いもん見せやがってと思ったんじゃなかろうか。

そういえば昔カラオケで曲に関係なくよくフルチンになってたね。そんなにたいしたものをもってるわけじゃないけど、あんまりおもしろい人間じゃなかったから、とりあえず脱いだら盛り上がるやろうという、安易な気持ちで脱いでたね。若いね。

カラオケの話じゃなくて、フルチンの話をしてしまった。