書き連ねた言葉

珍しく他人のところにお邪魔して、コメントした。それが良かったか、悪かったかはわからない。

そこにも書いたことだけれど、言葉というのはなにかを表現するのに万能にできているわけじゃない。だからこどばで何かを埋めようとしても、どこかで欠落する部分ができてしまうのだ。

思考もまた同じで、言葉で考えている限り、完全に部品が揃うわけじゃない。

現代人は正解を見つけるのに慣れてしまっていて、それはパソコンやスマホ自己啓発本やなにかっ自己主張の強い書籍などせいなのだが、弱い自分たちは正解にすがりつこうと必死で、自分の理論固めをする。

そうやって言葉で自分を埋め尽くしていって、自ら動けなくなり、コンプレックスを抱え、他人と何かを比べて生きていく。

頭がおかしくなる以外の選択肢がそこにはない。あっていようが間違っていようが、言葉や正解を無視して、自分なりの何かをつかむ事。

そういう自分も偉そうなことを言いながら、このブログで愚痴を垂れ流す存在なのだが、そうそう確固たる自分なんぞ持てるはずもなく、病気や不登校の子どもたち、学費の請求に怯えながら毎日を乗り切るのに汲々としている。

だからといって俺はなんていうか、嫁や師匠中島らも、スペンサー、、マット・スカダーが言った言葉を忘れて生きていく気はない。