ローラー台の上から

ローラー台の上に自転車をのっけて

グルグルと1時間ばかり回っていた

久々で足がまわらず、ローラー台って

ずっと回すほど足が動かなかった

俺が歳をとったのだろう

ランナーの足に変わってしまった

すごいスピードで駆け抜けることが

俺が生きていく唯一の方法だった

しかし俺はまた生きて帰ってきた

戦い済んで夜の街

些細なことでいらいらしていた

君からのメールがあるとも知らずに

僕はただご飯食べにいこうと誘っただけだったのに

いっこうに返事がこない

僕が腹を立てていたのは別の件で

仕事のしょうもないトラブルで

数字上の問題とか書類上の問題とか

人間を相手に仕事をしてるのだけれど

時々わけのわかってない奴が紛れ込んでいて

書類がどうだ、数字がどうだとわめきちらす

僕は苦虫を噛み潰した顔をして「そうですね」「わかりました」と

思ってもない言葉をいって、大人のフリをしていたけれど

内心はその書類に火をつけて燃やしてしまおうと思った

ふと携帯を見ると君からの返信メールがあって

何となく安心したような心持ちで

内容を見るまでになんだかいらいらした気分も吹き飛んでしまって

なんとなくほっこりした気持ちに落ち着いた

君とはしばらくあってなくて

君は僕が誘った日はだめだけれど、代わりにこの日とこの日はどうですかと

提案してくれていて、僕は今自分の予定がわからないから

すぐ返事できないでいる

僕はふたたび心優しい人間に戻り

君に会える日を待っている

ファンタビ

昨日「ファンタスティックビーストと魔法使いの旅」を見た。良くできた映画というかシナリオで、原作者J・K・ローリングの世界観を見事に描いている。ハリーポッターの続編ではあるが、過去の話でハリーポッターシリーズ全部が複線になっているのだろう。若きダンブルドアなどが登場しいくつもの複線が回収されるのだろう。

魔法族は優秀なのだから人間の上に立ち、支配するべきだ。とグリンデルバルドは言った。これはまさしくヒトラーが言った言葉そのものだ。魔法族をアーリア人に変えればいいだけ。J・K・ローリングはコンプレックスと嫉妬をうまく利用して話をかく。

悪者もちゃんと悪人で感情移入しやすく、主人公も単純に心優しいだけのキャラクターではないのだが、第一作ではその、深みを見せず徐々に仲間が分裂したりくっついたりと、うまくペース配分しているように思える。

 

J・K・ローリングは人間を愛してもいるが、悲しみの視線でも見ているのだろう。人間が時に無力でバカな存在として描かれ、魔法使いにとっては使えない奴に思える。ファンタビは全五作の予定で1945年に終わると、書いてあった。つまり最後は第二次世界大戦が舞台になるということだ。原子爆弾と何かしら魔法を絡めて、書きそうな気がする。人間の愚かさ、魔法族の愚かさ、も実は根っこは同じ。

 

戦いと調和。愛と憎しみ。永遠のテーマ。生きるために戦うべきか。生きるために愛するべきか。もしくはその両方か。誰を?誰と?

自分が優秀でも自分がポンコツでも人は悩み苦しむ。生きる意味はなくて、暮らしがあるだけと歌にあるが、それは少し寂しいような気がするんだ。

徒然なるままに

今週のお題「私がブログを書きたくなるとき」

タイトル通り僕は詩人で、365日毎日詩を書きたいと思っているし、書きたいこと、書かなければならないことは、ごまんとある。はず。

でも才能がないのか、忙しいのか、怠惰なのかわからないけど、そう毎日詩を書けるわけではない。ほぼ毎日何かしらの文章を書く人はよくわかってもらえるでしょうが、同じイメージの繰り返しなのだと思います。

自分の根本にある何かは変わらなくて、その表層にあるいろんな思いが少しづつ形を変えていく、文章ってそういうものだと思います。

僕が詩を書く、ブログを書くのは、自分のテーマを再確認する作業をしてるに過ぎません。ブラック・ジャックの後書きに立川談志の話が載ってました。手塚治虫は談志師匠にブラック・ジャックは三題噺と同じだといったとあります。手塚治虫の根本であるテーマ「ヒューマニズム」をブラック・ジャックが三題噺で料理したら、あの連載になる、そういうことだと思います。偉大な手塚治虫を引き合いに出すのは気が引けますが、自己表現ってそういうもんでしょう。

誰のためでもなく、誰が読むわけでもない文章を毎日少しづつ書いているのは、自己満足じゃない。自己確認のためだと思います。

僕が何を思い、何を愛し、何を憎んでいるか、何を欲しているか、何を捨てようとしているのか、普段みんなおしゃべりで自己表現していると思いますが、僕は年々無口になり心の中をおしゃべりで吐き出さなくなった。

文章にすると冷静に感情を表現できる、だから今の僕にはそういう場所が必要で、ここは僕の感情の集まる場所だ。

ファンの気持ち

上白石萌音さんのデビューカバーアルバム「シュシュ」を愛聴している。あの年齢独特の素直な歌声が好きで、特に「なんでもないや」を聞いて涙することもある。

若い時の宇多田ヒカルに似た微妙に揺れるあの歌い方が好きなんだ。

だけど最新のオリジナルアルバム「and…」ではどうやらそういうアプローチでは歌ってないらしい。1枚目はバラードばかりで萌音ちゃんの声にはまっていたけれど、2枚目はミドルからアップテンポの曲が多く、しっかりとした歌い方で歌っているようなのだ。

全部聞いたわけじゃないので、曖昧な書き方で申し訳ないけれど、あの一枚目の奇跡のような歌声が聴けなくてとてもがっかりしている。

昨日夜中まで嫁を相手に、その説明をしていた。嫁はポニーキャニオンかプロデューサーかメールしたらと言っていたが、代わりにここに書いている。

バラードばかりじゃオリジナルアルバムとして成立しないのか、萌音ちゃんの別の一面を引き出したかったのかは不明だが、僕は残念でしょうがない。

あの声は歳を重ねるほど、経験を重ねるほど出なくなのだ。今しか出ない声なのに、なぜそれを歌わせないのだ。

一ファンとして次に期待したい。

どうした?

町山さんが「全員死刑」の映画の話をしていたので、少しネットを見ていた。

凶暴、凶悪、狂っている。としか思えないがそんな社会もあるのだろうか。

正義も悪も信じてないが心がないのは、どういうことだ。金と憎しみしかない。優しさ、愛情がなさすぎて気持ち悪い。

ネットの情報なので信憑性に?はあるが連続殺人とは違った怖さがある。

家族全員が狂っていれば、そのおかしさに気づかないのだろう。それはどの家族にも言えることだけど。

カベ

あなたを見ながら育ちました

あなたに憧れていたような

反抗していたようなそんな気持ちです

あなたは人気者で私はそうじゃなく

嫉妬っていうのもおかしいでしょうが

あなたのようになれない自分が

もどかしくて腹立たしくて

それでも私なりに頑張ったつもりなのですが

あなたが偉大なのか

私がポンコツなのか

あなたのように魅力的にはなれなくて

私は私なりでいいとあなたはいうかもしれませんが

私なりの自分が好きになれなくて

今流行りの承認欲求とやら

難しげな言葉を並べても

なにも解決するわけじゃなく

むしろそういった知恵が

私をいらだたせるように思います

あなたの様な美しくて優しい心を

保つにはいったいどういう心持ちで

時を過ごせばいいのか

さっぱりわからないのです