誰だ?

ふざけて某ランニングコミュニティーのオーナーになっていたら、誰か奇特な方がいて、コミュニティーに参加したいと言ってきた。もちろんネット上の話だ。

俺はなんだかわからなかったけれど、承認してみた。コメントするべきかどうか悩んでいる。とりあえず『いいね』は押してみた。少ない情報から読みとると、どうやら女性っぽい。こちらはハンドルネームでおっちゃんであることを明確にしているので、うーん、どうなんでしょう、その辺。

しかしその女性は足が速い。10キロ55分と書いてある。俺よりも早いので、すごいですね。ってかんじ。若い方なのでしょうか。色々気になるけれど、あんまりがつがつ聞くのも、嫌らしいので、ここはそっとしておこうと思っている。

何となく住んでるだいたいの地域がわかるので、たぶん合うことはないんだろうけど、頑張って走ってる人を応援したい。そして俺も応援されたい。そのためのコミュニティーなんだから。

二人だけのランニングクラブ。しかも住んでるところは500キロ以上離れてる。世の中変わったんだねえ。

誰も知らない

誰かが何かを知っていて、俺は知らない。嬉しいことだ。俺はだまされている。嬉しいことだ。そんなに何もかも欲しいのかね。羨ましいことだ。

昨日漢字検定試験を申し込んだ。4級である。アラフィフのおっさんが4級とっても何もないのだが、むしろ恥ずかしいのだが、子供たちが余りに勉強しないので、コレは一発親父が苦手を克服して、4級ばちっと決めてやるしかないと思って申し込んだ。最初は6級から始めたのだが、6級、5級と勉強して手応えがあったので、じゃあ4級やろうという事になって、俺は昔から漢字がダメで、記憶のどこにも漢字が入ってない。

4級でも熟語は何とかなってきたけど、訓読みの漢字が全然出てこない。あと誤字訂正の問題が全然やね。

この歳になって、目も悪いのに漢字の勉強せなあかんのは、しんどいわ。でも俺は負けへんで、子供らは俺が弱音はいたら、怠けてしまいよる。俺はあくまでもがんばり続ける事の象徴でないといかん。

努力と忍耐。それだけがこの昭和生まれのおっさんの取り柄や。

大丈夫だ、俺はまだやれる、こんなことぐらいでくたばってたまるか!!

前に後ろに

最近ランニングの調子が良く、走る度に自己ベストがでる。気温が涼しくなってきて走りやすくなり、体温の上昇を押さえ込めることもその原因の一つだと思われるが、なんと言っても練習の貯金がたまってきたのだ。

自転車の時もそうだったけど、心拍トレーニングを始めて、きっちり体を追い込んであげる、それを半年なり一年なりすると体がだんだんできあがってきて、ある程度までは結果がでる。ある程度までは・・・・・・。

いずれどうしても越えられない壁がくる。すると俺はどうなるか。極端になる。一秒削るために、少しでも軽くなろうとしてダイエットし始めたり、カーボローディングしてタイムアタックの日を決めてアタックしたり、練習の回数を増やしたり、減らしたり、アルコールを抜いたり、生活のすべてをランニングの一秒の為に捧げてしまうのだ。バカだ。

ガーミンのガジェット心拍計でVo2max44とでた。それがどういう数字だかわからないが、そこそこの数字なのだろう。フルマラソン予想タイムがでる。サブ4のタイムがでていて、そんなことはないだろうと思いながら、まあこの手のもんは占いと同じで、当たりゃうれしいそれだけのこと、客を喜ばせるのも商売のうちだ。

何もかも極端になっていく最近のご時世に辟易しているが、俺もまたその一人だと思うとコレは自分一人の中に閉じこめておいて遊ぶものと思って、なるべく他人を巻き込まないようにしようと、それだけは心に誓うのであった。

なにが心に誓うのであった、やねん。頭おかしいわ。

なんでもファイヤー

仕事の休憩中に上白石萌音のなんでもないやを聞いていた。原曲の方はあんまり聞いたこどがなくて、上白石バージョンで俺は心の中からいやされる。ミニアルバムのつぎの曲は『smile』だからもうたまらない。

隣で歌っているようにささやくように歌うから、息遣いまで感じられて、曲の世界観に引き込まれるのだ。

今日は昨日と違って調子いい。昨日は寝不足でふらふらで、頭が全く機能してなかったけれど、今日は朝から絶好調で「パルプンテ」「ベギラゴン」などと唱えながら仕事をしていた。鼻歌交じりで、もう何でもこいって感じ。

だからとつぜんなんでもないやって曲を思い浮かべていて「なんでもファイヤー」ってダジャレを思いついて、なんだか大仁田厚とか小川直也とかがいいそうな感じで面白いかなと思った。

でもファイヤーならメラ、メラミ、メラゾーマの三段活用になるのよね。初期の頃は呪文の映像がなかったから、炎感があんまりなかったけど、呪文がビジュアル化したあたりから火柱なんかあがったりして、なんでも燃やすぜみたいになった。

滅びの山でフロドは一つの指輪を処分できたけれど、なんでも燃やせる炎というのは、寓意的には原爆や水爆のような核兵器と同じで人類がおもちゃにすべきアイテムではない。火の七日間戦争の巨神兵のように封印されて、地中深く眠ってればいい。

ダジャレを思いついて面白い話を書くつもりが、カタい話になってしまった・・・・・・

紺色

仕事柄、色には気を使う、べきなんだけど、生来の性格からあんまり何も気にしない。何か考えることがあるとすれば、それは俺の中の様々な問題であって、着ている服の色とかそれは、優先順位としては、下の方にならざるを得ない。

しかし、今日は見事に紺色祭りだね。ジャケット、Tシャツ、帽子、財布、携帯カバー、鞄、すべて紺色。俺ってこんなに紺色好きやったっけ。なんでこうなったんやろう?気づいたら紺色まみれやった。意識してできるもんじゃないよね。逆に恥ずかしいよね。

少しだけ赤色が入っていて、差し色って言うのかしら。でももうおじいちゃんやのに・・・・・・。おじいちゃんやから逆におしゃれになるって言うのは有りなような気がする。若いときは服に気を使わなかったけれど、家族がそういうただただ世間からはずれていくので、コレはまずいと思って少し服のことも考えようとしている。

学生の時にエスニック雑貨屋で買った服とか今着たら皆なんて言うだろうか。俺としては、マーク・ボランジミー・ペイジのようなつもりだったんだけど、俺はぶっ飛んでいたのかもしれないし、やっぱり中島らもになりたかっただけかもしれない。

PTSD

PTSD(心的外傷後ストレス傷害)についてのアメリカのレポートを読んだ。戦争に行った人の自殺率は平均より20%多いデータがある。何の罪のない人を殺したことに悩んでいる。仲間が死んで自分が生き残ったことに悩んでいる。恐怖体験がフラッシュバックし夜眠れない。昼はいろんなことを考えてしまって落ち着かない。人とあんまり付き合わなくなるなど、そういったことが起こりやすい・・・・・・。

色々なことを考えると僕はコレに近い状態だった、もしくは一部は今もそうなのかもしれないと思う。俺は失明した。過呼吸になって、パニック傷害になって。不眠症になった。だから今でも安定剤と睡眠薬を飲んでいる。

今は少し視力が回復し、少し社会生活を送れるようになった。家族の支えもあって、ラジオをお供に暮らしている。退院してすぐの頃は、バスに乗るのが怖かったし、電車に乗るのも怖かった。とにかく家の外すべてが怖かったのだ。今は少しづつ慣れてきて、いろんなことができるようになったが、最近できるようになって嬉しかったことは昼寝だ。休みの日の昼下がりにウトウト2時間ぐらい寝る、そんな普通のことがいままでできなかったんだ。

PTSDでもっと深刻に悩んでいる人もいるのだと思う。僕もふいにドアが開くだけでビクッとなる。怖いとか怖くないとかじゃなく、反射的にそうなってしまう。動悸が早くなるのを感じる。

心は私の願望や何かに関係なく、おびえている。薬でどうにかそれを抑えて生きている。頭がおかしいと思われてもかまわない。俺はまた失明する可能性があるのだ。俺はもう二度と羽ばたけないのだ。

休日

休みの日だった

朝からランニングをした

9月になり少し風が冷たい

体が温まるまで、時間がかかる

10キロの自己ベストが出た、うれしい

財布がボロボロだったので新しいのを買いに

阪急百貨店に行った、商品券があったので

DAKSという英国王室御用達というブランドものの財布を買った

紺色にした

すき家でチーズ牛丼を食べた、味が濃かった

家で古い財布を整理していたら、昔のキャッシュカードが出てきて

いろいろ問い合わせたら、銀行に行くことになった

自転車で20分こいで銀行について、あれやこれやで手続きして

1時間ぐらいかかって、昔のやつを再発行という形で、

新しくカードを作ってもらった

待ってる間、僕はひたすら椅子に座りボーッとした

僕はボーッと待つことができる

スマホを触るわけでもなく、雑誌を読むわけでもない

音楽を聴いたりもしない、ただボーッとするのだ

休みの日に一番必要なのは、用事を片づけて

ただボーッとすることだ

時間と肉体と精神を渾然一体とし、自然に溶け合うことだ

家に帰って金麦を飲み

昼寝をした

嫁が仕事だったので餃子を焼いて食べた

俺はまた睡眠薬を飲み寝た

休みの日には休むのが一番いい