〇〇会

〇〇会というものがある。〇〇という所に俺の名字が入る。昔の後輩が今でもわざわざ来てくれるのだ。昔は大人数でやっていたが、一人減り二人減りと、みな家族ができ、色々忙しい身なので、それに〇〇会は俺の家で開かれるので、みなハードルが上がって嫌がるのだ。

それはみんな大人になり、色々なしがらみや大人ならではの、社会的な何かに縛られて、これなかったり、きたくなかったり。

それでも二人はきてくれて、また来年もしましょうと、声かけてくれるのでまあ、それだけで嬉しいのだ。

何かしらしてあげれることがあれば、いいのだが感謝の言葉しかないのだ。

子供がひねくれて育ってしまって、俺は恥ずかしい思いをしたが、それもまた親の苦しみの一つなのかもしれない。

俺はもう〇〇会は開かないと思っていたが、でもある上司の一言がきっかけで、今年は声かけてみようかなと思って、声をかけた。

俺はほぼ引退した身で、誰かを何かに巻きこむのは、気がひけるのだ。ほとんどどこにもいかない。休みの日はラジオを聞きながら、絵筆を握っているのが、俺の楽しみだ。

そんなだから、俺は社会性を持っていない。それでも生きていくのは、なぜなんでしょうね。

難しい事はわからない。また来年と言ってくれる人たちのためだけでも、明日に向かう理由になるのだろう。