喜怒哀楽

時々なんで生きているのだろうと思う。苦しいことは実に多く、悲しい出来事、苦しい仕事があり、友は皆偉くなり、幸せそうに見える。

子供は言うこと聞かないし、嫁はしっかりやってくれているのだが、俺がわがままなせいで、迷惑かけてばかりだ。

詩を書き、小説を書き、絵を描き、音楽を聴き、本を読む。俺がしていることは、これだけだ。これだけで十分だと思うのだが、なにかが大きくかけていて、俺の生活はつまらないものになっているのだろうか。

自分の環境を少しづつ変えていき、飽きがこないようにしてるのだが、楽しさと言うのは、一体どう言うものだったのか忘れてしまった。

むしろ人生っていうのは楽しいことが前提じゃないような気になってくる。俺がよく読んでいるブログの作者さんはいろんな意味で人生を謳歌しているいわゆるリア充のように見えるのだが、このブログを読む限り俺もそう見えるのかもしれないが、もう生きていてもしょうがないと思うこともあるのだ。

しかし、それが自分勝手なこともわかっていて、俺がいなけりゃ困る人、悲しむ人も数人はいて、いるはずで、その人のために生きているのだろうか、俺は自分のために生きてきたはずなんだけど、誰かのためになればと思って、いろんな作品を作っているのだけれど、まあ、それはそれとして、俺が払っている犠牲に対して見返りが少ないと思っているのだろうな。たぶん。

俺は責任感がまるでない。そう思う。家族に対して、地域に対して、会社に対して、日本に対して。この日本を守ってくれた先人達に対して、俺は責任があるのだろうか。

ただ俺の師匠、中島らもは「数年に一度、生きてて良かったと思う日がくる。ただ、その日を待ちわびながら毎日を乗り越えていくしかない」と言っている。彼が鬼才で、俺は凡人だから、俺には生きてて良かったと思う瞬間がわからないのかもしれない。

俺は辛いことがありすぎて、いろんな感情をすべて捨ててしまったのだろうか。

長い愚痴になった。すいません。