株をかったら安くなった

俺は今月から株を始めた。素晴らしい。始めたら世界同時株安が始まった。買ったとたんに値が下がった。素晴らしい。俺はなんてついているのだろうか。トランプはバカなっことばかりいってるのか。自国の経済を守るのかどうか。俺の経済も守ってくれよ。

積み立てNISAだからまだ、すってんてんにはなっていない。それにまだ始まったばかりだ。嫁は手続きが遅れて今月はまだ、始まっていない。もっともっと下がれって祈ってるらしい。

株を持っていると、世界経済を気にするようになる。あんまり何も気にしないから、たまにはいいんじゃないかと思う。金がいるのは間違いない。

俺はクジとか当て物関係はからっきしで、年賀状も切手シート以外当たったことがない。必ず当たる集めるタイプの懸賞はがんばって集めるのだが・・・・・・。

ゆっくりと書こうか

本日も書くには色々とありました。一つ一つを取り上げて書くこともできるのだけれど、そんなことは詮無いことだ。ろくでもない広告コメントが海外から毎日きて嫌になる。

面倒なことを言ってくるくる奴が多くて困る。社会人になればそんなことは日常茶飯事なのだけれど、俺はわがままに育ったから、いらいらしてしょうがない。俺は誰が何を言おうが、気にしない。ってほどでもないが、たいがいの人間はどうだっていい。俺はだいたいの人間よりも賢いけれど、だいたいの人間よりも謙虚だから、黙って話を聞いている。そうやな、そうやなって。

簡単なことだ。たいがいは皆、怒りに満ちているオームにすぎない。ナウシカのオーム。ナウシカは言う「怒りで、我を忘れているわ」ナウシカメーヴェに乗って、虫笛をならす。時にはオームは冷静になり、目が攻撃色の赤から青に変わる。

俺がやっているのは人の話を聞き、虫笛をならすことだ。怒りそのものにはあまり意味はない。内容を吟味し、話の着地点を用意し、そこにソフトランディングさせるようにする。会話というのは簡単なものでもある。

黙っていれば相手は勝手に話を進めていってくれどこかに着地しようとする。最終的に着地点が俺が気に入らなければ無視をすればよい。あるいは着地点が気に入らないと、言えばよい。

話しかけ、聞き、問題がありそうか、なさそうか判断し、物事ってそうやって進めていくんじゃないんだろうか。時には非情にならざるを得ない時もある。俺は勝手な人間だから、突き進むときもある。恨まれるときもある。

それはしょうがない。皆から愛されるなんて、考えるほど、人間離れしていない。

愛情は人並みだ。優しさも人並みだ。俺はハードボイルド小説を読んで育った。フィリップ・マーロウは優しいだけの人間じゃない。スペンサーも。

自分の話が多くなった。情けない。自我をコントロールしなければ・・・・・・。

読者よ、さらば

読者よ、さらば。などとおおようなタイトルだけれど、今朝アクセス数がゼロだったので、ようやくいたずら訪問の方々がいなくなったと思ってほっとしていたのだ。

熱心にいつも読んでくれている読者さんもいるのだけれど、感謝しています、ありがとう。なんだかブログをやめるような勢いだけれど、まだまだ書き続けるつもりだ。二年近く毎日書いてきて、良い文章もあるだろうし、つまらない文章もあるだろう。自分のお気に入りの文章は何だろうかなとおもう。

Twitterよりも長く、スクロールが面倒なほど長くもない。新聞の投書欄のような文章を書いている。内容も新聞の投書欄のような内容の時がある。

未だ人生を語らず。吉田拓郎の歌でそんなのがあったような気がする。多くを語るより、越えてゆくんだ。戦うんだ。やっぱ、ヘミングウェイみたいだね。

多くを語るなかれと、ブログで書いても説得力がない。明日はやっと晴れで、暖かくなるらしい。桜が咲いてピンク色の日がしばらく続く。

読者よ、あなたにも素敵な日々がしばらくは続きますように。

hard times are over,over for a while....

歳をとったと思う

もう俺は歳をとったのだろうか。いろんなことができなくなってきている。加齢もあるが病気もあり、自分はどんどんちっぽけな存在になりつつある。

宇宙の中の芥子粒にも満たない存在。それを直感的に認識してるかと聞かれれば、そんなことないよね。今日も仕事が忙しかった。パートさんが休みで、俺の代わりをやってもらってる人だから、必然俺の仕事量が激増する。あれやこれやでごまかしつつ、何とか毎日乗り切るしかないのだけれど、ストレスを感じるのさ。

俺はどうすればいいのだろう。そんなことはしったこっちゃないよね。できることが少なくなったと書いた。疲れているのさ。弱っているのかしら。

どうだろう、絵を描きたい。キャンバスに向かって、ゴッホのように絵の具を塗りたくって、光り輝く太陽みたいに、ギラギラしたものを描きたい。

ひまわりなんかどう見たって太陽だから。

雨が続く。心はあちこちさまよう。子供がタロットに凝っていて、やたらなんでも占って、訳の分からん戯言を言ってくる。彼曰く日本YOUTUBEは来年あたりから斜陽だとさ。俺はYOUTUBEとかあんまり関係ないからと言ったら、関係ない人も影響はある。と彼は言ったんだ。

そりゃそうだろう。どんなことだって関係ある。俺がこんなくだらないブログを続けているのも、社会と俺は少しは関係あるからだ。社会だけじゃなく生きとし生けるものすべてに関係がある。僕らは火の中に自らを投じたウサギを食べて生きている。生きるのも生かすのも簡単なことではない。

おめでとう


f:id:samuiottyann:20180320183519j:image目の病気になってからずっと世話になっていた先生が、産休で休むそうだ。6年間私の主治医でいてくれた。感謝の気持ちでいっぱいだ。

最初入院した時のことを考えると、いまそんなに大きな制限もなく毎日暮らしていることが、不思議というか、なんだか別次元に思える。やっぱり私はあの時、一度死んでまた生まれ変わったのだろうと思う。

一言で言うと優しい先生だった。私のくだらない話をいつもちゃんと聞いてくれた。見当違いの考え方も、とりあえず飲み込んで、受け止めてくれた。でも二人で相談して、治療方針を決めてきた。

産休をとるのはいいことだ。彼女は良い母親になるだろう。そしたらまた日本は良い人間が増える。でも産休が終わったらまた僕の主治医に戻ってきて欲しい。それはわがままなお願いだろうか。

ちゃんと見えてるわけじゃない。それを一番理解してるのは嫁だ。そのことで苦しい思いをしてるのを知ってるのも嫁だ。でもその次に、見えないこと、苦しんでることを知っているのは先生だ。それは主治医だから当たり前といえばそうなんだけど、うまくいえないね。

最近覚えた油絵でバラを描いて先生にあげようと思う。それまでにもっと上手になれるかしら。

雨の日は

雨の日は車を磨いて、という本を読んだことがある。誰の本だったかしら。五木寛之っぽい感じですよね。このタイトルからいって。アルファロメオとか出てきたような記憶がある。

むろん雨の日に車を磨くのは、屋根付きの大きなガレージを持っている人間以外は、誰もそんなことしようとは思わない。せっかくきれいにした車が黄砂、泥、なんかで汚れてしまう。せっかくの努力が雨で流れていってしまう。それは合理的ではない。

でもその磨く行為自体が好きなのだとしたら、雨の日に車を磨くのは正しいことだといえる。素晴らしくうっすらと汚れた愛車はさぞかし、また磨きがいがあるだろう。雨の中わざと車を走らせて、汚れをつけて、また磨く、そんなことをする人が世の中には時々いるんじゃないだろうか、と思う。

それが無駄のような気がする人はちゃんと天気予報を見ながら車を洗車するだろうし、あんまり何も気にしない人はそもそも車を洗車しないだろう。

昨日珍しく日曜だというのに家の近所のコイン洗車場がすいていたので、これはついてると思って、列に並んだら、嫁が明日からしばらく雨だからといったんだ。関係ないやとちょっと思ったけど、明日休みだから明日にしようかとも思って、Uターンしてコイン洗車場をでた。

何かをきれいに保つのは、僕ら家族の苦手とすることなのだが、ゴミ屋敷にならない程度にはがんばって片づけをしたり、掃除をしたりしてる。だいたいにおいて、俺の号令がないと誰も掃除や片づけをしようとしない。なんちゅう家族だ。これでは先が思いやられる。俺たちの老後はいったいどうなるのだろうか。

話がそれてしまった気がする。雨の日に車を磨き、晴れの日にはなにをしようか?やっぱり家で絵でも描こうか。

油絵を描く 5


f:id:samuiottyann:20180318191622j:image
f:id:samuiottyann:20180318191816j:image油絵を描いている。休みの度に。最近始めた。デッサンを2回ぐらいして、さっそく本番のキャンバスに向かう。本当はもっとデッサンを練習して、基礎を積まないといけないのは重々承知しているのだけれど、絵がうまくなりたいと同時に、もっとキャンバスに絵を描きたいという気持ちが収まらないのだ。
今日本屋でデッサンの本を色々、絵がうまくなるコツを色々書いた本を眺めていたけれど、もっとみんな真剣に、絵を描くことに取り組んでいる。俺は職業的に絵を描くこととは無縁だけれど、小学生ががんばって描きましたみたいなんも嫌だし、今回描いてみて思ったことは、やっぱり基礎が大事なんやということや。デッサン。

何をかき込んで何をかき込まないか。それは小説を書いてても同じことを思う。僕はあんまり細かい背景描写をかき込まない。リアリズムとは無縁な人間なのだ。

マンガで育った人間だから、デフォルメ、省略そういった文化で育ったから。現実であることに重きを置いていない。現実とは何か。現実以上のものとは何か。シュールレアリスモってことになるのかもしれん。

技術は大切。もっと技術磨かないといけない。それと色の勉強。光と陰。線の描き方。

下手な絵っていうのはいいものだ。もっとうまくなる要素しかない。

ちゃんと見えていない。それがいい。はずだ。俺はぼやっと世界と関わって、ぼんやりと描き、ふわっと生きていく。