サイン
ここに来る途中、財布を落とした。自転車に乗って帰っているのだが、俺の財布は長財布でうしろのポケットから飛び出している。だから危なっかしいと言えば危なっかしいのだが、今までは落としてもすぐ気づいて、取りに戻ってすぐ拾うことで、別に何も問題なかった。
だけど今日は、すぐ気づいて取りに戻ったのだけれど、反対向きに走っていた自転車に乗ったお姉さまが、僕よりも先に財布を拾ってくれて、手渡してくれた。その人は僕が落としたことを気づいているのを、明らかにわかっていたにもかかわらず、拾ってくれた。「大切な財布、落としましたよ」と言ってくれた。
僕はヘラヘラ笑って「ありがとうございます」という以外なく、親切な女性に何かお礼をしたいような、そうでもないような、でもありがたい気持ちです。
今日思ったのは、僕もそのうちもっと歳をとり、財布を落としたのに気づかなくて、パニックになるひがくるだろうということです。しかもそれはほぼ確実に、もう数年したら来るだろうと予想されるということです。
もう僕は後ろのポケットに財布を入れるのを止めるべきでしょうか。ハイ止めるべきです。答えははっきりしています。でも、俺は過去から学ぶという行為が大嫌いなのです。同じ過ちを何度も何度も犯し、バカやろうとして生きていきたいのです。賢しい自分に身悶えするのです。
忘れることを学ぶ。忘れることを学ぶ。俺は常に間違いを犯し、それを忘れ、直立した自分を生きていくのです。
ブルートレイン
高校生の頃長崎ハウステンボスに友達と寝台特急に乗って、行った。僕たちはとても若く17歳で、何も知らなかった。僕たちはトランプを持って行った。寝台列車の中で女子大生のお姉さんたちに声をかけて、トランプの相手をしてもらった。数時間話もした。どんな話だったかも覚えていない。
夜が明けて僕たちはもう一度そのお姉さんたちに声をかけ、写真を撮った。列車といっしょに記念撮影をした。一人は白いセーターのようなものを着ていたような記憶がある。僕たちは終着駅まで数時間いっしょだったにもかかわらず、記念撮影のあと「よい旅を」などと言って、別れる気満々だった。
若い。彼女たちも僕たちもあれから、30歳も歳をとった。自分が高校生だった頃が嘘みたいだ。さしてかっこよくもなく、ブサイクでもなく、勉強ができたわけでもなく、足が速かったわけでもない。だけど、人の大多数がそういう人間だったような気がする。その女子大生たちも、さして美人でもなければ、ブサイクでもなかったような気がする。普通の旅する女子大生だった。
携帯にカメラがついて、世の中は綺麗であることに、力を入れるようになった。普通の人の普通の生活は消えてしまった。
いや、普通の基準が恐ろしく早く変わっていってるだけなのだろうけど・・・・・・。おじさんにはついていけないよ
連絡が途絶える
高校の時からの友人で、年に1、2度会ってご飯を食べる友達がいたのだが、連絡がつかない。具体的には携帯の電話が現在使われておりませんになる。
高校生の時に出会ってもう30年来の付き合いで、学生の頃はよく実家に遊びに行って、CDを聴いていた。音楽が好きで軽音楽部で、洋楽も邦楽もいろんなジャンルの音楽の話をした。歴代の彼女も知っているし、嫁も子供も知っている。それは向こうも同じだろうけれど。
最近はK-POPにはまっていたみたいだけれど、落ち着いた人生を生きていた、優しい人物だった。最近は優しい人物が減った。またゾログチになるけれど、誰も彼も自己主張をし、自分の優秀さをアピールし、そういう俺だってテレビを見てて、クイズ王より先に問題に答えたら、家族に向かってドヤ顔ぐらいするけれど、コミュニケーション能力がないのだろうか、みんな交渉している。俺はただ自分にできることは何か、考え、行動し、できないことはできないと言って、できることはやって、交渉っていうのはあんまり、やらない。何かを決めるのは、俺は得意じゃない気がする。常に間違っていて、それでも前に前に突き進む、そんな生き方をしてきた。
30年来の友人を失うのは、寂しいことだ。それでなくても年々心を開いて話せる友人が減っていって、皆うわべだけの付き合いに変わっていってる。
俺はどんどん真面目になってきて、冗談の通じない男になったのだろうか。年をとった。ダジャレの一つも思いつかない。寂しいことだ。
会議は・・・・・・
また会議があって、みんなバカなことばっか言っていて、全然中身がないけど、着地点もなくて、何だか、アホみたい。クソみたいな時代になったと、また時代のせいにしてしまう。
いろんな物から会社を守らなきゃならないのは、よくわかるけど、俺はもう疲れてしょうがない。神経すり減らして、なんだか鵺のような不思議な生き物を相手にしなければならないのは、疲れるのだ。
組織は内側から倒れる運命なのだろう。三菱自動車のように、上司の言うことが正しいのかもしれん、そうじゃないかもしれん。まあ、言ってみるだけ言ってみた。会社の内側から、じわじわと内部破壊してやる。怒りは常にうちにあり、組織全体が数字や論理で埋め尽くされている。共産主義の匂いがする。会議で部下の悪口を言うなんて、ちょっとどうかと思う。
むちゃくちゃや。こんな会社じゃ、誰もついていかない。人望という概念がない。美しい人間というのを知らない。数字、効率、合理化、というのは結局見た目の問題にすぎない。しかし世界は見た目だけの問題に固執し、本質は生きるという行為からはほど遠いように思う。
俺もバリ島に行って、のんびり暮らそうか。