オアシス
はっきり言ってオアシスの曲をまともに聞いたのは初めてだ。CMとかドラマとかにかかっているのは流して聞いていた。どれもまあテイストとしては同じで、ミドルテンポのグリーンデイみたいな感じ。まあ好きな部類かも。だいたいどの曲もアコギがシャカシャカなってるのがよい。わざとだろうけど。
前に書いたAIが作ったビートルズの新曲ってこんなんだよね。ファンの人にとってはベスト2枚聞いただけで偉そうな事を言うなって、怒られそうだね。
ベースラインが単純な曲が多いね。U2っぽいのかな。U2をあんまり聞かないからよくわからない。途中1曲ど演歌みたいなのも入ってたけど、マイルスだって枯葉のイントロでおかしな「ズンドコ節」が入ってるし。
とにかくもうちょっと何回か聞いてみようと思えるぐらいには、良かったんじゃね。
CDを借りる
昨日も書いたけど、青木カレンとオアシスとシンディ・ローパーとマドンナとストライプスを借りた。そして嫁が借りた「Too young to die」のサントラをituneにいれて聞いている。まだ全部聞けてないけど、青木カレンは良かった。すこし渋さが足りなくて、かわいい寄りだけど、ストレートなジャズアレンジが聞いてて気持ちいい。
問題はオアシスとマドンナやね。両方とも2枚組のベストなのよね。俺は2枚組のベストって信用してないというか、もはやベストじゃねえじゃん。と思う。特にあんまり思い入れのない歌手の場合、知ってる曲以外は???ってなるから、シンディ・ローパーのべストみたいに一枚でぎゅっとまとめて欲しい。そこからオリジナルとかに手を伸ばすとか考えるから。
著名な歌手の場合、レーベルの移動とかあってまともなベスト盤が出しにくい環境になるのはわかるんやけど、あれもこれもいれられても、入門編としてはハードルを下げて欲しい。
ようはどんな曲もアレンジ次第なのよね。あとボーカルの声質。それが俺の求めているものと一致したらええアルバやなあってなるんだす。
それこそ何度も何度もきいて、良さがわかる、そんな音楽の聞き方はもうしないだろうし、できないのかもしれないね。
休日にて
特にすることもないので、朝から走るが一昨日の疲労が抜けてなくてペースダウン。スピードが上がらずキロ8分でダラダラ走る。
サイゼリアで昼と食べようといって家を出たが、くら寿司にしばらくいってないと言うことになって、急遽へんこうして昼にする。ラーメンを食べた。魚介系の出汁のラーメンでまあうまかった。あとはいつものやつを頼んでお腹いっぱい。
今日はツタヤでカントリー系の歌手のCDを借りようと思っていたのだが、いってみたらなくて、オアシスとマドンナとシンディー・ローパーと青木なんとかとストライプスのCDを借りた。そしてサンマルクカフェでコーヒーを頼んで飲んでいる。
癒し系の女性ボーカルものを物色しているのだが、まあ当たったり外れたりでなんともかんとも。オアシスとストライプスは関係ないけどね。昔馴染みのロックですわ。
青木カレンだった。に期待しよう。選曲がちょっとピンときた。シュープリームス、ボーイタウンギャング、プレスリーなどのカバーが入っていて、エアロのアルマゲドンのやつもある。なかなかにどう料理してくれるのか楽しみだし、プロデュース力の問われる感じ。でもまあ聞く方としてはリラックスして聞ければいいかな。
遊んでおくれ
今週のお題「何して遊んだ?」
普通に僕らの年代は外で遊ぶ遊びも、ファミコンで遊ぶやつもやった世代だ。メンコやビー玉、探偵、缶けり、高鬼、ドッチ、ハサミンなどかな。怖い犬にちょっかいを出す度胸試しみたいなものもやった。
それとは別にファミスタや桃鉄、マリオゴルフ、スト2などもやった。
桃鉄で少額のお金をかけてやっていて、誰かをボンビーまみれにしたら、そいつがすねて怒り出すというのが定番で、朝までやっていた記憶がある。
俺は早く大人になって、女遊びやギャンブルを覚えた、なんて事はなくて、あまりみなと同調せず、家で本を読むことが多かった。
人生ゲームもドンジャラもUNOもやった。だけど強烈にインパクトに残っている遊びはあんまり無い。俺は基本ゲームが弱い。将棋とかも一度も兄貴にかなわなかった。
ジクソーパズルが好きだった。ウィリアムズ時代のナイジェル・マンセルのジクソーパズルとシャガールの馬と恋人たちのジクソーパズルが部屋にかかっていた。そうクロスワードパズルも好きだ。俺は対戦したりするやつは苦手なんだろう。一人でじっくり取り組める遊びが好きなんだろうね。
それは摩擦を嫌う俺の性格がそうさせるのかもしれないね。
おめでとう‼️
赤江珠緒、たまちゃん妊娠発表。おめでとう。俺は目が不自由になってからずっと、ラジオを聴いていた。悲しいことがあっても、苦しいことがあっても。たまちゃんがいつもそばにいてくれて、笑いとばしてくれた。
そんなたまちゃんが妊娠だなんて。こんなに嬉しいことはない。おめでとう。どんなお母さんになるんだろうか。やけどの多いお母さんになるのだけは間違いない。
瀧さんは俺の子ではないと、いっていたけど、僕の子でもないよ。やっぱりカブト虫とかの子供かな。ツノが生えてきてたら、びっくりだね。
赤江珠緒、たまちゃんは他人を幸せにする力がある。それも大いにある。みんなリスナーはたまちゃんから力をもらって生きていた。今度はその力を子供に注いで幸せな家族をまた一つ生み出すのね。今度は僕たちがたまちゃんを送り出して幸せを分けてあげる番なのね。
3月までまだ日があるけど、たまちゃん、もう少しいっしょに番組を楽しみましょう。
知識と教養
最近は・・・だ、みたいな話はもううんざりなのだが、僕も一つその手の話をしたい。知識と教養の話だ。
みんなすこぶる賢い。もしくは自分の必要な情報に関してはおそろしく詳しいし、底知れないでーたをもっている。それにみんなしがみついて離そうとしない。いいデータも悪いデータもごっちゃにして、抱え込んで分析することなく都合のいいときに都合のいいデータを持ち出して話をするもんだから、話に一貫性もないし、思想もポリシーも見えてこない。
知識や情報量の豊富な人で扱いにくいのはそういう人だ。情報を分析し整理し、中身を抽出するだけの教養がない。それはほとんど人間性の欠如といっても過言ではないものだ。教養とは何か。知識だけでは追いつかない想像力と思いやり、感情の部分だ。
たとえば明智光秀が本能寺で織田信長を暗殺した。これは皆が知ってる知識で、なぜそういうことをしたか、そこに至るまでの彼らの関係性、倫理観、宗教、その他いろいろな要素をひっくるめて、教養になる。人間の心の奥に潜む何かと何かがぶつかってそういうことになるわけだ。
だけど信長はテレビの本能寺の変とかでは、「敦盛」を舞う。実際はそんな余裕はなかっただろうという話だ。だけど知識としては「敦盛」を舞ってなかったとしても、教養としては火にあぶられながら「敦盛を舞う」信長のほうがリアルであるし、人間性を感じられる。作為的な人間性は時に人を間違った方に導くが、そういう曖昧なところがまた、教養の良いところであると思う。