バレンタインデー

本日はバレンタインデーです。しかし朝から嫁とケンカ、何か夜の出来事ですれ違いが起こって、気まずい思いのまま家を出ました。

だから今日一日はなんだか沈んだ気分で仕事をしました。何となく仲直りしたいですが、朝も謝ったような気がします。しかし嫁は寝てるときはものすごく機嫌が悪いので、誰でもそうかもしれませんが、うまく伝わってるかどうかわかりません。

会社でいくつかチョコレートをもらいました。年々さみしくなっていきますね。年をとったのか、時代が変わってしまったのか、義理チョコという文化がもう限界にきているのかもしれません。しかし、普段一緒に仕事している社員の子らはくれたので、まあ、そうなんかなって思います。

愛されたいと思うのは、もう、無理なことなのでしょうか。

役職

中間管理職で終礼をしないといけなくなった。つまりロクでもないことを言って、みんなの反感を買うということをしなければならない。また嫌われ者になる。まあしょうがないことだ。この世は嫌われ者になればなるほど、給料が上がっていくという不思議なシステムが出来上がっていて、そうでもしないと家族の生活をささえられない。うまく言えないが世の中っていうのはほんと難しい。

俺はリーダーシップとは無縁な個人主義というか好きにすればいいじゃん主義なので、誰がどこで何していようとそいつは、自分のやってることがわかってるってことだと思ってる。

しかし物のわかってない奴が一人挟まってくると自体はとにかくややこしくなる。自分でなんでもコントロールしたい人、もしくは自分の言ったことが間違ってることになるのが嫌な人が、強制的に集団をめちゃくちゃにして、ゆるく結びついていた集団が、分裂してしまう。

「オレガー」とジェーン・スーは言っていたが、自意識の強い人間はとにかくめんどくさい。この世に正しいこと間違ってることなど存在しない。そういうのは人間が決めることだ。物理法則とかも何もかも、うつろい変わっていく。イスラム、キリスト、そう言った宗教はまだいろんなことがよくわかってなかった時代に作られたものだ。

いいも悪いもない。のだからまた嫌われる1日が始まるのも無理はない。幸い目の不自由な45歳のおっさんをいじめようという人間はそう多くはない。嫌われるだけなら我慢しよう。

君が代

今の子供は「君が代」を歌えない。教科書には載っているらしいが、授業ではやらないらしい。卒業式、入学式では歌うところもあるらしいが生徒は聞くだけのところも多いということだ。

学校によってまちまちと行うことか。しっかり教えるよりも個人の判断に任す。そんな状態だ。結局のところ小学生に国歌斉唱の政治的問題を押しつけられても、親の判断が子供の判断になるわけで、所謂右か左か革新か保守かという話になるのでしょう。

しかし日本という国はどうしてアイデンティティとして強固に主張しないのか。ということは思う。「君が代」が現在の国歌なのだからそれを素直に国歌として教育すればいい。反対ならば新しく国歌を作って国会を通して新国歌を広めればよい。

現在の天皇制の上で成り立っている政治は微妙なバランスの上で成立しているのかもしれないけど、ああ、こういった文章が世間に蓄積され、一つの意見となり、うねりとなり、消費され、消えていくのだろうか。

もちろんこの文章は主観的な俺の考えで他の意見もあるだろう。

ジョンが言った国境のない世界というのは国家もなければ争いもない。平和の夢のような世界だ。だけど大きな戦争は姿は消したが小さな戦争は逆に増えて、皆苦しんでいる。

自己の利益と他社の利益が衝突するとき、僕はバランスをとりながら戦うしかないんだと思う

土曜日に思うこと

明日は休み。土曜日は半ドン。子供の時は12時ぐらいにかえって、吉本新喜劇をみる。そして母親が余り物か何かで作った焼きそばやチャーハンを食べる。僕が育った時代はそんなだった。多かれ少なかれ同級生はそんな感じで、特に貧乏だとか金持ちだとか関係なかった。

時は移り現代はインターネットやSNSの発達で他人の家族や家庭事情を羨む、妬む、ことが多くなった。何もかも丸裸でリア充なんて言葉が生まれ、実際に充実した現実はFacebookTwitterの中にある。音楽は滅んでダンスが生き残り、いわゆるブサイクなのは芸人だけという社会。

美男美女と金持ちだけが幸せをつかむ。もしくはそう思わせようとしている資本主義社会が今の姿だ。ネットも広告も美味しいものであふれ、他人を容赦なく攻撃し、自分の正当性をこれでもかってぐらい理論武装し、もうお腹いっぱいなのよね。

俺はいいものはお金持ちのものだと思う。でもそれを欲しいと思うか?欲しくないといえば嘘になる。俺はプライドが高いから。でもプライドが高いから、何をしてもつかもう、なんてことは思わない。好きなことして、それなりに努力はするが、絶対にやらないこともある。俺は簡単にはひざを折らない男でありたい。

絵心がなくて

今週のお題「新しく始めたいこと」

いつもやりたくて、なかなか一歩を踏み出せないのは、油絵です。絵画が大好きでよく見に行ったり、テレビで「美の巨人たち」は欠かさず見てたし、シャガールゴッホ、モネなどが好きです。

一度嫁が結婚する前に、油絵セットをプレゼントしてくれたことがあって、それでいくつか描いたのだけれど、油絵っていうのは、もう今日はそれ以上かけないっていう、乾かさないとつぎかけないという時点が来て、自分のペースでやるには少し、ねばり強さがいるのです。

乾くのを待つっていうのはなかなか、根気というかそういったものが必要でしょう。でも赤や黄色、青に塗られたキャンバスに自分のイメージができあがっていくのはとても楽しいものです。しかし、最大の欠点は、僕に絵心が全くないことです。ウチの家族は嫁を除いて全員絵心無いのです。残念。デッサンも構図も何もない。字も下手。

それでも一枚だけ気にってる自分で描いた絵があります。ビートルズの「アビイ・ロード」のジャケットを模写しました。途中までですが気にってます。

老後の楽しみに油絵をとっていたのですが、目の病気をしてしまい果たして油絵なんて描けるでしょうか。というか僕はいつまで生きれるのでしょうか。毎日ステロイド免疫抑制剤を服用して長生きできるような気がしません。

嫁はそういう学校に少し通っていたらしく、絵が上手です。嫁におしえてもらって、うまくなりたいです。

おかしな事になっている?

最近ウチの嫁と性欲が壊れていて、毎日セックスしている。結婚16年目で、新婚時代もこんなことは無かった。

家に帰るとまず、キス。しかも何度もして、最終的にはディープキスをこっちがしびれるぐらい、する。その後俺のシャツをめくりあげ、左右に乳首をもてあそび、舐めて、転がし、またキスになり、パンツの上からチンコを触ってくる。それでまた、パンツをずらし、ねっとりゆっくり裏スジを舐めて、くわえて、フェラチオする。すごい丁寧なフェラチオなので、もうレロレロになって勘弁してくれ的な感じでお出迎えが終わる。

家に帰るとそういう状態なので、何がどうしたのかわからないが、毎晩セックスして、俺は射精し彼女は深い眠りにつく。エロスというよりもより深いコミュニケーションを求めているのか、精神的なものも含めて、いろいろなものがナイマゼになった、性行為といえよう。

俺はまた彼女を発見した。そんな感じ。愛を。

充電がない

何かものしようと、思って立ち上げたけれど、出先で充電がなくて、簡易用の充電器でうっすら充電しながら書いている。1%の充電らしい。もつのか?

いつも書くことだが、誰も彼も何もかも数字に追いたくられる毎日で、気の休まるときがない。上手に切り抜ける人もいるのだろうけど、生来の生真面目な性格が災いして、まともに数字と向き合ってしまう。せんのないことだ。

時計もパソコンもエクセルもワードもいらない。無けりゃ無いで何とかなってきたのだが、現代の敵スマホSNSが僕たちを見張っていて何もかも監視されて生きていかなきゃならない。また、みなエリートになるために四苦八苦して、体裁を繕いあげくストレスで病んだり、大酒を飲んで体をこわす。

生存競争のまっただ中に放り込まれて四苦八苦するだけの人生だ。清志郎も歌ってたけど、まあ一生懸命働いて眠るだけですよ。