数字というもの

客観的指数としての数字が嫌いで、どうにもやり切れない。今月は不人気ブログを公言してるにも関わらず、月半ばにして100PV突破をしてしまった。どうしよう。

誰にも秘密で始めたブログだし、何か特定の趣味をものしてるわけではないので、いろいろと思いついたことをつらつらと書き殴ってるにすぎない。それでも時々はてなスターをくださる方がいて、大いに励みになる。

詩人の大岡信さんが亡くなった。ぜんぜん関係ないけど亡くなった人の話を取り上げることが多い。一時代を築いた人が亡くなったら、それなりに僕の琴線に触れるのだろう。

僕は自称詩人だから、有名詩人が亡くなるとなんだか、寂しい気がするのだ。

言葉を吟味して、人や物を描くことをしているので、数字でアレコレ言われたって、そんなもんどうってことないじゃん、ばかばかしいってなるんだ。

数字は常に客観的であるわけではない。人間の扱う数字はうつろいやすい蜃気楼のようなものだ。

コーヒーメーカー

本日コーヒーメーカーを買った。象印のやつ。俺は昔からコーヒーを飲む人間ではなかった。だけど二年前に資格の勉強をするためにカフェ通いが始まった。うまくもまずくもないコーヒーを毎日毎日飲んでいる。すると少しはコーヒーのなんたるかがわかるようになった。うまいと思えるものに当たることは少ない。安いものはやっぱりそれなりの味しかしない。だけど豆や入れ方以外の要素があるので何とも言えないところもあると思う。

俺は濃くて酸味もそこそこあるやつが好きだ。今いれたコーヒーは使い方がイマイチよくわかってなかったので、薄いやつになってしまった。邪道かもしれんが俺はブラックじゃない。ミルクを少しいれるんだ。砂糖は入れない。わがままだ。

今日はあと三杯コーヒーが残っている。小さな楽しみはいつでも大歓迎だ。

俺の話を聞け 2

今週のお題「自己紹介」

俺は5年前に病気になり、失明した。二ヶ月入院して薬を飲んだり、血を入れ替えたりして少し見えるようになった。退院して半年間家にいた。リハビリと言って家にいた。お金がなくなった。

俺は職人だった。手先を使う、細かい作業をする職人だった。もうその仕事には就けなかった。俺はアルバイトと言う形で元いた会社に雇ってもらった。

物作りはできなかった。簡単な作業さえ俺には難しかった。俺は他人の好意にすがるしかなかった。俺の自尊心はぼろぼろになり、家族を養うことなど夢のようだった。

何とか工場長の好意で社員格にしてもらって、細々と暮らしている。

俺は比較的おとなしく欲望の少ない人間だが、プライドは高い。他人に負けたくないというか、自分に負けたくないのだ。もっと俺にできることを探している。

目が不自由と言う人間をしっかり雇うほど現代の会社は優しくない。責任がとれないからだ。俺に責任を押しつけられないし、何かあったときにだれもどこにも行けないからだ。みんなうわべだけは優しく接してくれるが、本音は俺の扱いに困っているだろう。

自己紹介だった。またしてもグチになった。俺は強く生きる。でも俺なりの優しさでみんなを引っ張っていけたらと思う。

まぶしいんだ

僕は目の病気で、光の量を調節することができない。常にまぶしいんだ。目がチカチカしてるんだ。昼間の自転車のライトでもまぶしいんだ。

病気になって5年が立つ。慣れないもんだ。薄暗いところを好む。でも、最近は何でもかんでも百貨店もカフェも光量がおおい。ピカピカに光っていたらきれいに見えるからだ。だからどこに行っても、目がチカチカする。

職場もそうだ。とにかく光の洪水だ。こうしてタブレットにむかって記事を書くにも一苦労だ。もう一生治らない。ずっとチカチカしたままだ。ずっと薄暗い場所をもとめて、さまよわなきゃならない。

カフェでいつもの席に座りたかったんだが、昨日タブレットを充電するのを忘れていて、電源タップのある席に座らなきゃならない。いつもの席は少し暗くまだ作業しやすいのだけれど、電源タップのある席は、スポットみたいなライトが直接当たっていて、嫌がらせみたいに、頭がおかしくなりそうなぐらいまぶしいんだ。

モネのサンラザール駅みたいなカッコいいもんならええんやけどね。

どう生きる??

まじめな話、どう生きる。社会全体が女性化してきて、より細分化され、誰も大事の前の小事にこだわる。もっと全体を見ていろんな事を考えねばならん。小競り合い、口げんかで世の中はおかしくなってしまった。

誰もが答えを持つ時代になってしまった。曖昧さはなくなり、心だけが置き去りにされたままだ。

浅田真央が引退した。一度休養した身だからそれ自体は驚くことではないが、世界のトップはもう、とてつもなく疲れるのだろう。たぶん滑っていて、楽しくも何ともないのだろう。だけどいろんなしがらみがあって、簡単にはやめれないのだろう。顔だけ見てれば、心の優しそうなお嬢さんだし、気力がなくなったと書いてあった。

どうすればうまく生きられるのだろう。フィリップ・マーロウは強くなければ生きていけないと言った。でも優しくなければ生きていく意味がないと言った。優しさってなんだろう。俺はわがままだからいつも、誰か何をもとめているのかわかたない。

柔軟性・・・・・・。ってことなのかな。俺は目の前のウサギを追いかけるのは得意なんだ。だけど、誰のために何のために追いかけているのか、考えないから失敗するんだ。もうすぐ50だ。社会に出てきて俺は失敗した気がする。俺は詩人になるべきだった。

突然

今から作業しようと思って、カフェに入ってコーヒーを飲んでたら、嫁と子供が来てしばし雑談する。

なんかツイッターの話だの、ヤマザキ春のパン祭りの話をして、何を書こうか忘れてしまった。どうでもいい話をしてまあいいんだけど、俺は今スピリチュアルに凝っているのか、自分の寝室を浄化したい、お香を焚きたいみたいな話をしたら、子供が「おとんって、そういうの信じる人やったっけ」って言うから信じるも何も、俺は何も信じていないし、逆に何でも信じる人でもある。

自分がよりよい幸福な人になるために、全力を尽くす。それは個人的なものに限定されるが、オカルトだろうが、スピリチュアルだろうがかまわない。ただ、心の平和を求めているだけだ。