パンクをして

たわいない話。いつもたわいない話をかいているけど、今日はよりたわいない話だね。他愛ない話だったね。昨日スローパンクだったので、帰りにサイクルベースあさひによってチューブを買って、一本千円のチューブを入れ替えた。手が真っ黒けになってゴム臭くなって、でもちゃんと入れ替えた。シュワルベのヤツ。

でもタイヤのサイドが劣化していて、裂けていたのでもうこれ、タイヤ自体がだめなんじゃないだろうかと思いながら、一応交換したのよ。で、今日朝は何ともなく会社について、帰りにタイヤに触ってみても何ともなくて、大丈夫なのかなと思っていたら、ここまでくる間に完全に空気が抜けた。やっぱりだめやね。タイヤ自体がもうあかんわ。結構高圧にしたし。だからスネークバイトになるんやね。とりあえず応急処置で家にあるヤツかえて、低圧で乗るしかないね。もったいない。アマゾンでタイヤとチューブ注文しなあかんかな。

 

閑話休題チャーリー・ワッツのインタビュー読んだ。見出しにチャーリー・ワッツが・・・・・・てなってたから、死んだんかなって思って見たらインタビューやって、でももう、ストーンズのメンバーもいい歳やから。いつ死んでもおかしくないから。本人もいつまでできるかわからんみたいなこと言ってた。

最後の方でデビット・ボウイはそんなに天才ではないみたいなこと言ってて、俺もそう思うけど、そんなこと胃わんでもいいのにと思った。デビット・ボウイなら、マーク・ボランの方が天才だろうと。

 

他愛ないはなしだから、オチもない。さいなら

依存症

依存症。俺は何依存でもない。と思っていた。だがたぶん違うと思う。俺はすぐに何かにのめり込むタイプで、ここ数年は自転車中毒だった。

思えば俺はギャンブル中毒でもなく、アルコール中毒でもなく、そういった一見体に悪いもの、財布に負担のかかるものには手を出さなかった。らもさんを崇拝し、マット・スカダーのファンだったが。

断酒、AA、そういったブログの人がたまに見に来るみたいで、そちらのブログを読むことがある。AAの祈りは俺の好きな言葉の一つだ。

ニーバーの祈り

私たちに変えられないものを受け入れる心の平穏を与えてください

変えることのできるものを変える勇気を与えてください

そして、変えることができるものと変えることができないものを見分ける賢さを与えてください

この祈りはキリスト教発信のもので、第二次世界大戦前後ぐらいからアメリカのAAで使われていて現在では、日本のAAも取り入れてるようだ。

ローレンス・ブロックのマット・スカダーシリーズでこの言葉が一回でた。俺はその当時クソ生意気ないやな野郎だったが、俺は変えることができるものを変える勇気を欲していた。だが十分に賢くなかったので、変わったけれど思ったほど変わらなかったのだ。たぶん。

俺は活字依存症だった。本の世界の中に生きていた。それがよかったと思うときもあるし、非現実的なことを信じすぎていて、周りの人には突拍子もないような人間に見えることもあるだろう。本は理論的になりすぎるきらいがあるし、現実はあまりにも回転がはやく機知に富む人間の独壇場だ。

俺みたいなのんびりした人間は、現実からはどうしたって遠ざかって行く。時の川を渡る船にオールはない。流されていく。とユーミンは言っている。

性懲りもなくまた、油絵なんぞ始めて、夢中になるのかなって心配している。

遠く遠く

120キロぐらいあるらしい。竜安寺まで。遠い。そして寒かった。昔は真冬でもへっちゃらであちこち、走りまくってたけど、今思えばなんかアホみたいやね。アイスバーンも雪の上もロードバイクで走りまくってたからね。そりゃケガもするさ。
f:id:samuiottyann:20180226195028j:image湯豆腐を食べに行った。んだけれど、目的のお店は店じまいしてて、食べれなかった。だから竜安寺近くの食堂でハンバーグ定食を食べた。うまくもなくまずくもない、どうってことないハンバーグ定食だった。
竜安寺はテレビで見たことがある。そしてその庭のウンチクも聞いたことがあった。だけど実際に見てどうかと聞かれても、何とも言いようがない。きれいではある。何かが表現されてるようでもある。それは見る自分自身の問いかけによるものだ。この庭を造った人は何を考えていたのか、何も考えていなかったのか。

虎がどうした、とか入り口の説明書きにかいてあって、何個石があってとか書いてあるのだけれど、俺は例によってよく見えないから、何となく一人でゆっくり見たら、もっと落ち着くのかなとも思う。現代人はとかく色んなものに追い込まれているので・・・・・・。

帰り際外国人に話しかけられた。キャンユースピークイングリッシュ?と聞かれたので「ジャストアリトル」と言ったら、こちらに近づいてきて、なにやら説明しだした。

俺のつたない理解によると、その彼はトライアルバイクをやっていて、日本に来て6ヶ月になるのだけれど、京都でトライアルバイクができる場所とかないだろうか、と質問したような気がしたんだ。というかそこまで理解するのに少し遠回りして、とんちんかんなやりとりもあったけど、だって嵐山でトライアルをやりたいみたいなことを言ったような気がして、おれは思いっきり大阪弁で「そりゃ無理やで」って言ったら、外人特有のこの日本人は・・・・・・。みたいな仕草をしたんだ。俺はだからもう少しつっっこんだ話をしたんだ。

彼は京都でトライアルバイクをやりたいみたいだが俺たちは、兵庫県在住の余所者だからよくわからん、といったんだ。そうすると向こうもそれを理解したみたいで、どこまで帰るんだってきかれて、家まで70キロだと言った。というか70キロがぱっと英語で出てこなくって、ああおれはこんな簡単な英語もできんのかと、我ながら残念になったよ。

久しぶりに長距離を走ったので、膝の裏と腰が痛い。今日も早く帰って寝たいが、宿題をしないといかん。なんともかんとも。

もぐもぐタイム

昨日この平昌オリンピックが始まってはじめて、ちゃんとテレビで中継を見た。カーリング女子生中継だった。最初リードされて5エンドぐらいまでもうだめだと、思って寝よう、これ以上見るのはつらい。と思った。

だけど嫁がこれからもぐもぐタイムやでといったので、休憩か、何食べるんかなって思って、お菓子のことも話題になってたし、ちょっと見てみようと。

そしたらフレッシュのイチゴをもぐもぐ食べていて、エナジーゼリーみたいなヤツも食べてたし、これは糖分とって疲れとって、逆転やと思って。

それで最後まで見た。10エンドで追いついた時は嫁はんと興奮気味にガッツポーズして、これはひょっとしたらいけるかも思ったけど、やっぱり韓国が一枚上やって、キッチリ最後決めてきたね。あのメガネかけてた人。ごっつい上手やったね。だから最後投げる人なんやろうけど。

日本の藤澤さんもすごかったね。難しい投擲をけっこうビシバシ決めて、しかもずっと笑顔で。メンタルがものすごい強いなって思ってみてた。

ほぼ試合全部見たけど、やっぱり日本はミスもあったし、韓国の方が技術的に上やったと思う。勝負は時の運みたいなところもあるけど、俺の印象は強い方が勝った、そんな感じ。日本に勝ってほしかったけどね。ナショナリティってあんまりないけど、オリンピックの時は日本に頑張ってほしいよね。

俺が気になったのはメイクと髪型かな。最近の眉は昔よりも太く自眉も使ってしっかりした印象がある。あんまり汗で流れないのかもしれんが、それともそういうメイク道具なのかもしれんがみんなはっきりしたメイクやったね。フィギュアとかとおなじなのかしら。あと日本女子4人の内3人が前髪があったね。藤澤さんだけ、前髪がなかった。そのことを嫁に言ったら「どうでもええやん」といなされた。確かにどうでもええんやけど、やたら顔がアップになるからそういうとこ、気になって。

俺が高校生やったら、あの4人のうちで誰々が好みで、タイプで好きやわ、みたいな話を次の日学校でするはずなんやけど、もうおじいになってそういうこというのは、なんだかちょっとアレなのでやめときます。

みんな可愛いし、めっちゃ頑張ってた。とヘタレコメントでお茶を濁そう。

デッサン 2


f:id:samuiottyann:20180223143049j:image俺はこの間油絵セットを買った。けっこういい値段だった。だから今すぐそのセットをひもといて、すぐにでもキャンバスに向かって何かを書き始めて自己満足に浸りたいのだけれど、はっぱり基礎ができてないと何事も長続きしないし、面白くないことに気づいて、、我慢してデッサンを重ねている。一種の修行期間だ。

俺はその修行のことをサッカーに例えている。俺はサッカー部だったのでその方がわかりやすいのだ。ようは基本ができた方が物事は楽しみやすい。何もできないのにサッカーの試合にでてもそれなりには楽しめるだろうけれど、やっぱりちゃんとインサイドキックなり胸トラップなりインステップキックなりができた方が、いざ試合にでたときも楽しめるはずだ。だから昔絵をかじっていた嫁にいまデッサンを習っている。とにかく我慢だ。

今日はボトルのデッサンだった。ネグリタを一回とサザンカンフォートを二回書いた。ネグリタは不透明なボトルなのでまだ書きやすいような気がしたが、縦横の比率がおかしくなって少し太ったボトルになった。

このあいだ描いたリンゴよりも少しましなものが描けたような気がするが、描いてると時間がすぐにたってしまって、あっという間に2,3時間たつ。嫁に色んなアドバイスをもらいながら、描く。

サザンカンフォートを始めに描いたときにあまりよくなくて、もう一回描いたらと嫁が言った。俺は早く次に進みたかったけれど、ここは我慢してもっと丁寧ものを要求されてると思って、最終的にはゴッホのような油絵が描きたいのだけれど、とにかく細部の描写をおろそかにしてはゴッホもクソもないと思って、もう一度書き直した。

それが写真にアップしたものだ。うまく描けたかどうかはわからない。ネットを見れば素晴らしく上手なボトルがいっぱい並んでいるので、それと比べるべくもないが、俺は始めて二日目だし、細部にこだわる人間でもないので、どうなんでしょうか。画家は光と陰が命なのが、よくわかった。

それに俺には目のハンデがある。だから理論的にはこう見えてるはずだという、ことを考慮して描くこともできると嫁は言った。

早く油絵が描きたい。しかし、次もデッサンなのだろうか。

リラックマのこと


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嫁が昨日リラックマのクッキーを焼いた。プレーンの生地とチョコの生地、2種類あった。みんなクルミとかアーモンドを持っていた。

俺は作った話を聞いた。ネットで色々配合を見たけれど、粉が多く砂糖が少ないものばかりだったので、小麦粉の袋の裏に書いてあるクッキーの配合が、一番粉が少なく、砂糖が多い配合だったのでそれにしたと言った。

嫁がリラックマのクッキーを作った。最近送別された会社の人に持って行ったと言った。暇そうな時間帯に行ったと言った。両手でナッツを抱えてるヤツと、片手で抱えてるヤツがあった。後ろ姿のヤツもあった。お尻のところに尻尾がぽつんと付いていた。

別嬪さんは会社の人にあげたと言った。俺は残ったクッキーを3つ4つ食べた。うまい。子供はどこやらの製菓会社のアーモンドの方がおいしいと言った。これは堅いと言った。

嫁がリラックマのクッキーを作った。俺はその話を聞きながら、コーヒーをわかし多めに牛乳を入れて、カフェオレを作った。砂糖も入れた。甘いクッキーには合わない気がした。ミスタードーナツのコーヒーカップで飲んだ。

クッキーを写真に撮るときに光が入らないように苦心した。

俺は熊殺しだ。4頭まとめてやっつけた。奴らはクルミとアーモンドの味がした。

スマイル

グリコのCMを見た。笑うことを思い出させるCMだった。

昔俺がサンタさんだった頃、クリスマスに子供に手紙を書いた。笑いなさい、とにかく笑っていれば幸せになるし、幸せの方がよってくるから、とにかく笑って暮らしましょう、みたいなことを英語で書いた。

彼女は小学校の低学年で意味が分からず、嫁に意味を聞いていた。嫁が説明すると「ふうーん」みたいなリアクションでその場は終わった。

彼女は中学生なって不登校になり笑うどころじゃなくなった。家では普通にしていたが、いろんなものをかかえていたのだろうか。

彼女は不登校の人が集まる高校に行き、息を吹き返した。今は義理チョコを配って歩く、リア充になり果てた。でも彼女が経験した引きこもりの2年間は彼女が大人になるためのお金で買えない2年間だっただろう。いまでも彼女は微妙な危うさの中で生きているに違いない。でも同じ失敗はしないだろう。しないでほしい。

その高校で覚えた歌があるらしい。「スマイル」だ。

何度もこのブログに登場する上白石萌音ちゃんの「chouchou」と言うアルバムの最後の曲だ。少し調べたところによるとチャップリンの映画の中に出てくる曲らしい。

とにかくつらいときも悲しいときも、笑いましょう、みたいな歌詞だった。やっぱり不登校の子が集まる高校に一番必要なのは、「スマイル」に違いない。笑顔ほど人類に必要なものはないよ。

グリコのCMでは大人は一日15回しか笑わないらしいが、俺は日によってはもっと笑わない。だめだこりゃ。

ちゃんと笑顔の人になれるように、一所懸命ふざけます。