記録

数字の話。俺はもう数字にしばられて生きるのは、嫌なのだけど、アスリートの本能としてタイムと戦うのは、避けられない運命であるように思われる。

毎週毎週きつい坂道ダッシュを自分に強いて、短距離長距離を両方強化できるように、トレーニングしている。インターバルトレーニングも自己流だが、嫁に最近足が太くなったと言われた。

俺はついこの前まで自転車乗りだったので、足は細かったのだ。しかし坂道インターバルを繰り返すと、当然足は太くなりますわな。そして腰、尻も大きくなってきて、だんだんと全身で走ることができるように、なってきているのだろう。

タイムが縮んできた。10キロが55分切りで5キロが25分だ。コレはやばいぞ。ガーミン君のVo2maxが46になった。地面を力強く蹴る、それが早くなる一番の要素だ。それと回転数、ピッチ。自転車と同じだ。重いギアを早く回す。それが早く走る意味だ。ランもストライドかけるピッチだから。地面を強く蹴る事ができれば、速く走れる。

地面を強く蹴る練習とは何か。坂道以外にないだろう。

自転車のときも坂バカで、近所の激坂を求めてうろうろしていたけれど、今は近所の土手の坂一本でやっている。目が悪いので階段はやらない。たぶんこけてケガするだろう。

おっちゃんは回復能力がないのでハードな練習をすると日をあけないと運動能力が落ちていく。レッドゾーンまでぶち込んで、少し休んでまた高強度の練習を繰り返す。

そんだけ練習してるのだが、おなかは少しぽっちゃり出ている。それがまたおっちゃんのいいところでもある。

ダイエットすればもっとタイムが延びるのだろうけれど、まあそれは最後の手段で置いておこう。俺はやせたいわけじゃない。

もっと良い坂はないのか。俺を強くしてくれる坂はないのか。足の筋肉がピクピクしてる。いかすぜ、ベイビー、俺に任せろ

アングリルとモンヴァントゥ

昨日今年のブエルタ20ステージを見た。最後はアングリルの山頂ゴールだった。最後はアタックしたコンタドールが先に逃げていた選手を抜いて、勝った。引退前の最後のレースといっても過言ではない。そのアングリルでコンタドールは誰よりも強かった。見るものを熱くさせる走りだった。俺もまた頑張らんとあかん、そう素直に思えるすばらしい走りだった。控えめだったがバキュンポーズもでた。バキュンポーズは嫌いだが、最後だし控えめだから許してあげよう。というよりもちょっと、良かった。

ところでアングリルを誰よりも早く上ったのはコンタドールで、最強の選手である事は間違いないが、果たしてフルームは本気で走ったのだろうか、という疑問を書いてもいいだろうか。1分ぐらい差が離れていたが、最後2,3十秒につめていた。ポエルスも一緒だった。ケルデルマンやクルイシュウィック、ニバリなどは遅れていたが、ひょっとしたらフルームは本気じゃなかった可能性があるんじゃにかと思う。コンタドールを抜く可能性をもっていたかもしれない。

何度も言うようだが、俺はどちらかというとアンチコンタドールで、でもアングリルの熱い走りに興奮して、最高だったと思っている。フルームが手を抜いたなんて思っちゃいない。ものは言い様だ。skyはいろんな事を考えるチームだから。

俺は2000年のモンヴァントゥを思い出した。ランスとパンターニのモンヴァントゥだ。ランスは最後パンターニ勝利を譲ったと言った。偉大なチャンピオンに敬意を表して譲ったと、言った。と記憶している。それを聞いてパンターニは怒ったそうだ。俺が勝ったのは実力だと。おまえは何様だと。

俺はこのレースのDVDを持っているが、見る限りランスには余裕があるように見える。だから?ドーピングまみれだった時代の話だ。パンターニは偉大なチャンピオンだ。ランスは・・・・・・。ランスの評価はどうなんだ。最高のペテン師なのか。パンターニはクリーンだったなんて思うほど、俺は非現実的ではない。だから勝利を譲ろうが譲られようが、さほど関係ないことなのかもしれない。

なぜこの話題を書くのか。それは男の子の大事なものの話だからだ。勝つと言うこと。勝ちを譲るという事。真剣勝負に人情味を持ち込むのか、否か。それはとても大事なことだからだ。

いつもの調子で

またブログがアクセスゼロに戻った。めでたい。誰も読まないふつうのブログを目指して、日々あくせくパチパチしている。九十数歳のおばあちゃんのエッセイが人気だそうだが、あちらは元祖文句言いで、こちらは新参者のグチ垂れ流しブログである。この目の不自由なおっさんに社会や世間について深く思いを寄せる事なんて、デ・キ・ナ・イ。

今日を生きることでいっぱいいっぱいなんだから。それに俺がここで何を書いても、誰も見ていないし誰も読んでいない。世界に向けて独り言をつぶやいているだけだ。チューハイと発泡酒を飲みながら。いいことだ。最近はすぐに訴訟やらなんやら、と皆が声をあらげて批判するものだから、おちおち独り言もつぶやけない。そんな尻の穴の小さな時代になって、誰も読まないブログというのは自由の宝庫であると思う。ジブリの悪口でも、ディズニーの悪口でも、言い放題だ。どうでもいいけど。

コンプライアンスは重要さ。ポリティカルコレクトネスも重要さ。フォトジェニックもインスタ映えもいいだろう。それでお金儲けになるならば。それが世の中ってもんさ。お上に逆らったら生きていくことさえままならない。

だけど俺には○○○がある。それは誰にも教えない。俺の持ってる最高のものだ。そいつを売り飛ばすほど俺は腐っちゃいないし、金に困ってるわけでもない。

またいつか君に会えるときもあるだろう。そのときは俺の本当のこと、教えてあげられる。耳をすませて、聞いていておくれよ。

今夜もまた地獄で会おう

ケガ

子供の頃から無鉄砲でケガばかりしている・・・・・・。冗談ではない。俺は夏目漱石よりも、おっちょこちょいなのだ。ついこの前まで自転車にはまっていて、暇さえあれば遠出をして、100キロ150キロ走っていた。そんな俺だから、自転車でこけて骨折ということが何回かあった。

鎖骨を二回、顔面を一回骨折した。顔にはチタンプレートが入っている。ケガをする度に、同僚に謝らなくてはならない。俺は職人で腕が使えないと、仕事を休まなければならないからだ。

今はほとんど乗ってない。いい加減、謝って回るのが嫌になったっていうのもあるし、最後にこけた時、顔面をひどくすりむいただけですんだが、地面の凹凸が見えなくて転けた。俺はもう山を下れない、そんな気がしたからだ。もし下りがなくて、登りだけなら、まだ自転車で走っているだろう。だけど山を登ったらくだらなければならない。俺はそのうちまた転けて、大けがをする、間違いない。

俺は自転車が大好きだった。山を登っているときが俺が一番生きているときだった。自然と一体化して生命体として濃くなっていく感じだった。俺はケガをしても許される職業に就くべきだった。

近頃は大人はおちおちケガもできない。社会がケガを許さなくなった。自己管理ができてないとか何とか。スポーツは多かれ少なかれケガが付き物だ。趣味でスポーツができないのは、大人としてはどうなのだろう。ゴルフやマラソンなど比較的安全なスポーツもあるが、大人しく生きていくなんて、バカバカしい。

社会人としての責任とは何か。人に迷惑をかけない。それはわかっている。好きで迷惑をかけてるわけじゃない。自転車に乗るのがそんなに悪いことか。俺は何度も自分に問うた。たばこを吸って、酒浸りになるのと似たり寄ったりだと思うんだが。

谷垣さんも大変みたいだが、頑張って欲しい。もう一度復活して、自転車乗りの魂を見せつけて欲しい。ガンバレ!

老人

ヘミングウェイの小説「老人と海」を読んだことがある。年老いた漁師が大きなカジキを釣ったのはいいが、港に戻る途中で鮫にほとんど食べられてしまう、そんな話だったと思う。

ヘミングウェイ自身はキューバで良く釣りをしていたらしく、自身がモデルという事も考えられなくもない。

小説の主人公は一人で釣りをしていて、真っ黒に焼けて、お酒を飲むが寡黙なイメージだ。何だろう。俺の理想の老後はあの漁師みたいに、男を感じる人間でありたい。

最近はと書くと、またおじさんのグチが始まったと思われるのだが、それでもかまわない。日本全国が女子高生みたいになっている。そいつが気に入らない。一人じゃ何にもできなくて、集団で裏から手を回して物事を進めようとする輩が多い。直接は対峙せずとにかくわかりにくい。

俺は昭和の人間だから、高倉健が最高だと思っている。黙って、行動し、自分の判断を信じ、自分の責任で行動する。

大物のカジキを半分以上食べられて、がっかりした様子もなく、老人は淡々と生きる。海は自分の思い通りには行かない。そんなことは幼い頃に覚えたのだろう。老人にスマホはなく、鮫にカジキを食べられないようにするための、対策も改善するための道具もない。また明日運が良ければ、大物に巡り会える。タバコをふかしながら、老人はラム酒でも飲むのだろう。

俺も帰って発泡酒でも飲もう。

古着

リサイクルショップで古着を買った。スエードのジャケットとコーデュロイのジャケットを買った。

コーデュロイはコールテンといったような気がする。俺はそういうのに敏感ではないので、なんでもいい。母親がコールテンって言っていたのだろう。おしゃれってめんどくさい。

昔スペンサーに出てくるマーティン・クワークの絵があって、緑のコーデュロイのジャケットで肘にパッチがついているものを着ていた。中折れ帽?というのか鳥の羽のついた帽子をかぶっていい感じだった。

いいおじさんになった今こそ、こういう服を着るべきだと思って、良さそうな服を探している。本当はブルックス・ブラザーズあたりで買えば、いいものが手にはいるのだろうけれど、いかんせん資金力に難がある。

それでもスニーカーやランニングシューズは、ボストンのニューバランスを愛用している。二十年以上前に読んだ本に未だに影響を受けている。でもそれは誰でもそうかもしれないね。

何度も書いて恐縮だが俺がビールにこだわるのは、スペンサーのせいだ。バドワイザーを飲まず、ハイネケンクアーズを飲む。カナダだとラバットだったかしら。ユダの山羊の中でモントリオールオリンピックが行われていて、野外格闘で金メダルを取るんだった。

懐かしい話だ。もう一度本を手にとって読んでみたい。いい子にするから、俺にもう一度本を読む事のできる視力をください。