ガーミン ファアアスリート235J

ガーミン・ファアアスリート235Jを買って俺のトレーニング病にまた火がついた。こういう機械はやっぱりレコーディング機能があるため、数字でモチベーションがあがる。またそれが売りで商品として成り立ってるだろうと思う。それにしても恐ろしいことだ。

俺は最大心拍数マニアなのかもしれん。そのうち心筋梗塞脳梗塞で倒れるのかと思う。185がMAXなのだろうか。昨日はそれ以上でなかった。狙って出すもんじゃないし、自転車を始めた頃は192ぐらいはでたんやけど。十年前の話やけど。180を越えて走ったら2.3分で足が売り切れた。170後半で走り続けるしかないんやね。

昨日ピッチとストライドのサイトを見ていたら、有名選手のピッチでも190ぐらいだった。いま俺の最高ピッチが190ぐらいなので、これから伸ばすべきはストライドだということがわかった。有名選手は身長比で0.9ぐらいだった。170センチの選手なら153センチのストライドになる。俺の現状のストライドは84センチなので身長比で0.49だから、トップ選手と差はここにある、などとバカなことを考え初めている。

俺はバカなのだろうか。単純で天然、能天気、数字に踊らされて夢中になる、そんなアラフィフのおっさんなんて、保険の外交員ぐらいしか興味を持ってくれん。

ガーミン・ファアアスリート235Jのもう一つの利点は電話、メールでバイブしてくれるところやね。普段は気がつかないから、ちょうどええわ。

ランニング

朝走った。10キロ。心拍計を見て走ると、途中から一気にペースがあがり、心拍のレッドゾーンで走る時間が長くなる。最大心拍数近くで走り続けるのは、無理なので苦しい時間が続く。ゾーン5で走った時間が24分ゾーン4で走った時間が23分。ドン3で走った時間が14分。それで全体の90%になる。

体感的にはきっちりゆっくりあげていけば170を30分ぐらいキープするのは可能だと思う。しかし180は一瞬しか出せないし、180を出したらその後ペースがあがらない。180は最後のラスト5分とかそういった場面でしか使えないのではなかろうか。

175あたりで長く走れるようになるといいのだが。後はピッチとストライドバランスを探らなければならん。ピッチが190ぐらいでストライドもそこそこ大きくなると、もっと速く走れるようになるのかもしれん。

もうこの時計ガーミンファアアスリート235Jのまわしもんやね。なんでもかんでもデータ取って、分析して、改善する。現代の悪い病気やなとはおもうが、まあいい。走り続ければどこかにたどり着く。

ショウマストゴーオン。

ジロ・デ・イタリア

ジロ・デ・イタリア2017を見た。全部見た。ジロが閉幕してから二日後にこんな文章を書いているなんて、珍しい。通常ジロが終わって一ヶ月ぐらいして全部見終わるのだが今年は特別、JSPORTSでの放送がなかったので、LIVEstreamingを駆使して見たので、もしくはジロ・デ・イタリアの主催者が流しているハイライトを追いかけていたので、1日のレースを一日で見終わることが出来た。通常僕は5時間かかるようなクイーンステージも早送り一切なしで全部見る派なので、仕事があるとどうしても一つのステージを一日で見終わることが出来ない。

今年はそういう意味では画期的だった。俺の語学力もちょっぴり上昇したのかもしれない。英語、フランス語、イタリア語、スペイン語などの放送を聞き続けたからだ。

英語は何とか七、八割ぐらい内容はわかるが、その他の言語は名前と数字が少しわかるぐらいで、ただただ字幕と映像を見て理解するしかなかった。

それにしてもデュムランの最後のTTでの逆転は、見ていてどきどきものだったが、キンタナよりはデュムランを応援していたので、よかった。ターゲットタイムがわからなかったので、3秒?みたいな表示がでたときは何で?みたいな感じだった。

今年は例年のジロよりもキツい山頂ゴールがなかったので、TTスペシャリストのデュムランでも勝てたのかもしれないけど、インデュラインうんぬんの話はもうちょっと先になるのかもって思う。

今年はワット数も表示されていて、正しい数字かどうか定かではないが、ああこの人たちはどえらい次元で走ってるんやなと体感できて、面白かった。

サイコパス

脳科学的にはサイコパスというのは脳の一部があまり機能していない人がなる、みたいな話を昨日ラジオで聴いた。その割合は百人に一人。意外と多いけど、サイコパスの人全員が異常犯罪者になるわけではないので、そういうもんやと、ぼやっと聞いていた。

サイコパスと聞いてふと思い浮かぶことが二つある。「羊たちの沈黙」のレスター博士とBOOWYのアルバムの「サイコパス」だ。トマス・ハリスが創造したハンニバル・レクターは人食い連続殺人鬼の代名詞であり、シリーズ全部が映画化されてることもあり、非常に有名なサイコパスだ。

海外ミステリ、サスペンスが僕の大好物だったのでその手の本はいっぱいあるはずだが、ジェフリー・ディーバーの物とマイクル・コナリーのものしか思い出せない。そういえばローレンス・ブロックのマット・スカダー物にも連続殺人鬼は出てきたね。ある意味連続殺人鬼はミステリの定番でアガサ・クリスティーABC殺人事件なんてのも「そして誰もいなくなった」もそうだ。舞台設定として盛り上がるし、謎解きのためのヒントが徐々にそろうところが連続殺人鬼物が作りやすい原因だろう。

BOOWYサイコパスは通算6枚目のアルバムで楽曲の幅が広い。もし80年代までビートルズ解散してなくてのホワイトアルバムが一枚だったら、こんなアルバムが出来るのかしら。ある意味みんなの向いている方向がバラバラで、バンドという形に括られてないからこそできるわがままというか、自由さがあるんじゃないだろうか。俺には少し味付けが甘ったるいような気がするが。氷室の歌詞の世界観がもう少しピリッとしててもいいと思う。

精神異常者という名前のアルバムにしてはものすごいまともな多様性のあるロックアルバムで、ボウイの入り口としては聞きやすい一枚だと思う。

いるもの、いらないもの

今週のお題「私の沼」

小須田部長のコントで「いるもの」「いらないもの」を分けていた。笑う犬の冒険のコントでの話だ。僕は飽き性で、あれやこれや手を出しては、途中ほったらかしになり、嫁や子供に「またや」みたいな目で見られる。三十後半で始めたロードバイクもかなりはまって、毎年数レースでていたが、練習中に怪我をして、リタイヤすることになった。本人的には今でももっと走り込みたいのだけれど、人生半分引退している身としては、バイクで山を攻めたりするのは、もうあかんのかなって思う。そのかわり、少しづつランの方に比重をおいていって、ガーミンのファアアスリート235Jなる物を手に入れて、アクティビティを眺めて暮らしている。強いからだと強い心を手にいれて、世の中に立ち向かっているんだ。

病気をして目が不自由なので、ラジオをよく聴くようになった。基本はAMラジオの昼間どうでもいいことをしゃべる番組が好きだ。政治も経済も俺にはおなかいっぱいで、どうにも受け付けない。俺は人に興味があるんだ。歌が好きなんだ。お金儲けのために生きてるんじゃないぜ。

いるもの、ラジオ。要らないもの、ややこしい人たち。自分の都合しか考えない人。