神道は神の道なのですか

大相撲で土俵に上がって、救命行為をした女性にすぐに降りてくださいと、相撲協会はアナウンスしたらしい。真意のほどはわからないが、相撲の土俵は伝統として女人禁制となっている。

救命行為はするべきだったと思う。当たり前だ。命以上に重いルールなんてあり得ない。と思う。例えそれがどんな伝統だったとして、土俵が神聖な場所ならばなおさら、救命行為をするべきだと思う。土俵は戦いの場であってお墓ではないから。

しかしこれまでの相撲協会の伝統からいって、歴代女性が国技館の土俵に上がることを拒否してきた経緯がある。ちらと聞きかじった知識によると神道は「血」を汚れたものとし生理がある女性は男性よりも汚れた存在だという理屈らしい。ほんとかうそか知らないが、年輩の方はそういった考え方をする人もまだいるんじゃないかと思う。

実際のところ明治の小説を読んでいて、鍋を囲む場面があった。家族だったか親戚だったか覚えてないけれど、男性陣が先に鍋をつついて、女性は男性が食べ終わってからじゃないと、箸をつけられなかった。

「女が箸をつけた鍋なんて、殿方はお嫌でしょう」みたいな台詞もあって、昔読んだときは、そのころはそんな文化やったんや、ぐらいに思ったんだけど。

男女差別は小さくなっているが、まだまだ存在する。それは事実だ。だが女子の世界に男子も進出している世の中の流れもある。能力の問題でもあるし、上手な生き方の問題でもある。それは男女関係ないといえばない。

俺は男子だが初老で目が不自由だ。だから?そうこれは自分の話だ。俺は国技館の土俵に上がれる資格はあるが、能力がないし、コネもない。人は生まれながらに平等だと、憲法は保証しているが権利としては平等なのが望ましい、という意味だととらえている。

俺は相撲協会は理不尽でいいと思う。特殊な理由がない限り女人禁制を貫いて欲しい。なぜかそうおもう。女性が汚れた存在だからという理由ではない。意味の分からない伝統もまた、なくなると寂しいという、勝手な思いだからだ。