いつもの調子で

またブログがアクセスゼロに戻った。めでたい。誰も読まないふつうのブログを目指して、日々あくせくパチパチしている。九十数歳のおばあちゃんのエッセイが人気だそうだが、あちらは元祖文句言いで、こちらは新参者のグチ垂れ流しブログである。この目の不自由なおっさんに社会や世間について深く思いを寄せる事なんて、デ・キ・ナ・イ。

今日を生きることでいっぱいいっぱいなんだから。それに俺がここで何を書いても、誰も見ていないし誰も読んでいない。世界に向けて独り言をつぶやいているだけだ。チューハイと発泡酒を飲みながら。いいことだ。最近はすぐに訴訟やらなんやら、と皆が声をあらげて批判するものだから、おちおち独り言もつぶやけない。そんな尻の穴の小さな時代になって、誰も読まないブログというのは自由の宝庫であると思う。ジブリの悪口でも、ディズニーの悪口でも、言い放題だ。どうでもいいけど。

コンプライアンスは重要さ。ポリティカルコレクトネスも重要さ。フォトジェニックもインスタ映えもいいだろう。それでお金儲けになるならば。それが世の中ってもんさ。お上に逆らったら生きていくことさえままならない。

だけど俺には○○○がある。それは誰にも教えない。俺の持ってる最高のものだ。そいつを売り飛ばすほど俺は腐っちゃいないし、金に困ってるわけでもない。

またいつか君に会えるときもあるだろう。そのときは俺の本当のこと、教えてあげられる。耳をすませて、聞いていておくれよ。

今夜もまた地獄で会おう

ケガ

子供の頃から無鉄砲でケガばかりしている・・・・・・。冗談ではない。俺は夏目漱石よりも、おっちょこちょいなのだ。ついこの前まで自転車にはまっていて、暇さえあれば遠出をして、100キロ150キロ走っていた。そんな俺だから、自転車でこけて骨折ということが何回かあった。

鎖骨を二回、顔面を一回骨折した。顔にはチタンプレートが入っている。ケガをする度に、同僚に謝らなくてはならない。俺は職人で腕が使えないと、仕事を休まなければならないからだ。

今はほとんど乗ってない。いい加減、謝って回るのが嫌になったっていうのもあるし、最後にこけた時、顔面をひどくすりむいただけですんだが、地面の凹凸が見えなくて転けた。俺はもう山を下れない、そんな気がしたからだ。もし下りがなくて、登りだけなら、まだ自転車で走っているだろう。だけど山を登ったらくだらなければならない。俺はそのうちまた転けて、大けがをする、間違いない。

俺は自転車が大好きだった。山を登っているときが俺が一番生きているときだった。自然と一体化して生命体として濃くなっていく感じだった。俺はケガをしても許される職業に就くべきだった。

近頃は大人はおちおちケガもできない。社会がケガを許さなくなった。自己管理ができてないとか何とか。スポーツは多かれ少なかれケガが付き物だ。趣味でスポーツができないのは、大人としてはどうなのだろう。ゴルフやマラソンなど比較的安全なスポーツもあるが、大人しく生きていくなんて、バカバカしい。

社会人としての責任とは何か。人に迷惑をかけない。それはわかっている。好きで迷惑をかけてるわけじゃない。自転車に乗るのがそんなに悪いことか。俺は何度も自分に問うた。たばこを吸って、酒浸りになるのと似たり寄ったりだと思うんだが。

谷垣さんも大変みたいだが、頑張って欲しい。もう一度復活して、自転車乗りの魂を見せつけて欲しい。ガンバレ!

老人

ヘミングウェイの小説「老人と海」を読んだことがある。年老いた漁師が大きなカジキを釣ったのはいいが、港に戻る途中で鮫にほとんど食べられてしまう、そんな話だったと思う。

ヘミングウェイ自身はキューバで良く釣りをしていたらしく、自身がモデルという事も考えられなくもない。

小説の主人公は一人で釣りをしていて、真っ黒に焼けて、お酒を飲むが寡黙なイメージだ。何だろう。俺の理想の老後はあの漁師みたいに、男を感じる人間でありたい。

最近はと書くと、またおじさんのグチが始まったと思われるのだが、それでもかまわない。日本全国が女子高生みたいになっている。そいつが気に入らない。一人じゃ何にもできなくて、集団で裏から手を回して物事を進めようとする輩が多い。直接は対峙せずとにかくわかりにくい。

俺は昭和の人間だから、高倉健が最高だと思っている。黙って、行動し、自分の判断を信じ、自分の責任で行動する。

大物のカジキを半分以上食べられて、がっかりした様子もなく、老人は淡々と生きる。海は自分の思い通りには行かない。そんなことは幼い頃に覚えたのだろう。老人にスマホはなく、鮫にカジキを食べられないようにするための、対策も改善するための道具もない。また明日運が良ければ、大物に巡り会える。タバコをふかしながら、老人はラム酒でも飲むのだろう。

俺も帰って発泡酒でも飲もう。

古着

リサイクルショップで古着を買った。スエードのジャケットとコーデュロイのジャケットを買った。

コーデュロイはコールテンといったような気がする。俺はそういうのに敏感ではないので、なんでもいい。母親がコールテンって言っていたのだろう。おしゃれってめんどくさい。

昔スペンサーに出てくるマーティン・クワークの絵があって、緑のコーデュロイのジャケットで肘にパッチがついているものを着ていた。中折れ帽?というのか鳥の羽のついた帽子をかぶっていい感じだった。

いいおじさんになった今こそ、こういう服を着るべきだと思って、良さそうな服を探している。本当はブルックス・ブラザーズあたりで買えば、いいものが手にはいるのだろうけれど、いかんせん資金力に難がある。

それでもスニーカーやランニングシューズは、ボストンのニューバランスを愛用している。二十年以上前に読んだ本に未だに影響を受けている。でもそれは誰でもそうかもしれないね。

何度も書いて恐縮だが俺がビールにこだわるのは、スペンサーのせいだ。バドワイザーを飲まず、ハイネケンクアーズを飲む。カナダだとラバットだったかしら。ユダの山羊の中でモントリオールオリンピックが行われていて、野外格闘で金メダルを取るんだった。

懐かしい話だ。もう一度本を手にとって読んでみたい。いい子にするから、俺にもう一度本を読む事のできる視力をください。

梨を食べて

今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」

うちのおじいちゃんは俺が中学生ぐらいの時に亡くなった。一緒に住んでいなかったので、あんまり交流した記憶がない。おじいちゃん定番のワカバを吸っていたような気がする。

おじいちゃんは梨を栽培していて、毎年送ってきてくれた。幸水も長十郎も二十世紀も毎年食べていたような気がする。廊下に段ボールで一箱あって、毎日食べていた。おいしかった。今でも梨は大好物だ。

おじいちゃんは小さい頃しょっちゅう家にきた。俺はよくふくらはぎを足の親指と人差し指でつねられた。泣くほど痛かったがおじいちゃんはふざけているだけみたいだった。

おじいちゃんは競馬をしていた。うちの親父と叔父さんとおじいちゃんで土曜によるに集まって、競馬談義で盛り上がっていたみたいだ。俺は大人の話に入れなくて、何となく早くに寝たりしていた。

今はもう、そのときの親父の年齢よりも上になった。昔みたいにうちのおやじが来ることはあんまりない。俺自身がおじちゃんに近づいていて、初老といわれる年齢で、老眼が進んで・・・・・・。

何となくあんまり年上の人って畏怖する。気軽に話したりできないのは、身近な存在におじいちゃんがいなかったせいだろうか。

今日

朝起きたら生きていた。まだミサイルは我が家に落ちそうにない。がいつ飛んでくるかわからない。国連は何とか圧力をかけておとなしくさせようとしているが、北朝鮮は自分たちの力を誇示したくて、バンバンミサイルを撃ちまくっている。

「坊やだからさ」シャアの声が聞こえる。核兵器を持った坊やはそれなりに厄介な存在だと思う。酔っぱらって、ボタンを押さないか心配だ。

一方日本は平和ボケしていているのか、どうなのか、危機感がないのかあるのかわからない。飛んでくる途中でミサイルを打ち落とせないのか。そういうシステムを開発してるはずじゃなかったのか。何兆円もの金は、どこへ消えていくのか。俺はビールじゃなくて、まがい物の発泡酒とやらを飲んでいるというのに、毎月何万円も税金払っているのに、俺が昨日食べたのは、100円のコーヒーと100円のハンバーガーだ。

どういうことだ。納得行く返事をしろ、このバカヤローって感じ。

生きている。それはいいことだ。良くないような気になるときもあるが、漠然とした不安で死のうと思うほど頭が良くない。睡眠薬中毒になるほど薬持ってないし、アル中になるほど肝臓が強くない。

台風が来てる。さっき外にでたら、風がすごかった。追い風で自転車こいだら時速50キロはでただろう。俺はカンチェラーラみたいにパリ-ルーベで勝っただろう。俺は家はつぶれないだろう、たぶん。

韓国の大統領は北朝鮮の貧しい人達に8億円の援助をするといった、らしい。世の中は難しい。何が良くて何が悪いのかさっぱりわからない。俺は自分にできることの中から、一番いいと思うことを一所懸命選んで、それが結果的に間違ってなかった事を祈るしかない。

音信不通

友達と連絡が取れなくなった。時々起こることだけれど、いったいみんなどうしちゃったんだ、と思う。俺と直接もめたとか喧嘩したしたとかじゃなく、久しぶりに連絡しようとしたら、電話番号が変わっていて、住所も変わっていて、連絡が付かなくてそれっきりになってしまう。

学生時代から携帯の電話番号は変わってないので、向こうが俺の連絡先を消去してなければ、俺には連絡がつくはずだ。俺は本名でFacebookもやっているので、その方面からでも、連絡を取ろうと思えばとれる。

してみると意識して、俺からもしくは俺を含めたある特定の人達から、姿をくらまそうとしている。いったいどんな事情があるのか。噂では不倫がどうしたとかって話も聞こえてくるが、所詮は噂なので確かめようがないし、たとえそれが本当だったとしても、俺との関係を絶ってもしょうがないじゃないか。

お金がらみとか、仕事がらみとか、突然僕の前からいなくなって、こっちはもう対して友達が残ってないのだ。もう新しく増えることもそうそうないだろう。社交的な人間ではないし、もともと友達は多くない。

坂を転がるように人生を下ってきたので、何とか踏みとどまって、より実りある生活を取り戻そうともがいている。

会いたい人々がいる。今何しているのか、元気でやっているのか、謝りたい人もいる、ありがとうっていいたい人がいる。センチメンタルなことだろうか。僕は僕のこころを置いてきたからだろうか