引っ越すつもりだった

このまえ、他所で書いてる駄文がばれて、また地下に戻る話を書いた。このブログもそろそろ長くなってきたし、あんまり目立たないブログに引越ししようと思って、アプリを落とし最初の投稿までした。

その間このブログを封鎖していたのだけれど、いろいろ思うところあって、もうしばらくはてなブログを続けることにした。

特に何を書いているわけでもないのだけれど、時々情緒不安定になったり、悲しみや怒りが心の中に渦巻いて、外に出ていかないので、思いつくままに駄文をものしている。

俺は少し前の世代の「ラブアンドピース」や「ヒッピー文化」の影響を強く受けているので、どうしても話がそっち方面に行くことになる。効率化、合理化、情報過多の現代ではフィットしない生き方なのだろうと思う。

また俺は言い訳めいているかもしれないが、人とうまくやっていくことが苦手だ。わがままなのだろうね。俺が社会にフィットしないのを現代社会にせいにしても仕方がない。

今読んでいる本でユナボマーの話が出てきた。少し調べたら、IQの高い連続爆弾魔だった。飛び級ハーバード大学に行ったけれど、世俗になじめず、最終的に山小屋に閉じこもって、あちこちに爆弾を送りつけた人物だ。

賢い人物は承認欲求が強い。だからユナボマーはねじれてしまったのだろう。俺は承認欲求が高まった時は自分のことをジョン・ディーコンだと思うことにしている。「ボヘミアン・ラプソディー」をみたあと「フレディー・マーキュリー追悼コンサート」をみていたら、ジョン・ディーコンをみたらすごく地味で、なんでもないTシャツとズボンだった。素晴らしい。

年賀状の絵が仕上がった

嫁に頼まれていた年賀状用の絵ができた。できたというのは、もうええかなと思ったから。いつも思う事やけど  、絵にはゴールがない。俺がやめない限り永遠に修正しなければならないようなそんな気持ちになる。

ゴッホの「種まく人」の模写をモチーフにして描いた。だから右下に種蒔く人が入っている。

気に入ってるのはたいようと空の部分とその種蒔く人のところやね。

一瞬絵をアップして公開したけど、それはさすがにあかんね。年賀状の絵やもんね。消しました。

代わりにこっち、今日描いてたテントウムシf:id:samuiottyann:20181111182704j:image

 

あなたが居てくれて嬉しい

ヘレン・メリルアンドクリフォード・ブラウンの名唱で知られる“You’d Be So Nice to Come Home To”を聞いていた。八代亜紀が歌った曲名では「帰ってくれたら嬉しいわ」となっているが、誤解を招くような訳し方だと思う。

逐語訳的に訳すと「あなたが家に帰って来てくれたら嬉しいわ」という方が待っている側の心情が出てぴったりくるのじゃなかろうか。

第二次世界大戦中に作られた歌らしいので、そういった意味も含まれているのだろうと、さっき覗いたブログに書いてあった。

ヘレン・メリルの歌い方は少しウキウキ感みたいなものがあって、女心の微妙さをちゃんと表現してる。ガーリーなヴォーカルっていうのかな、大変可愛らしい。f:id:samuiottyann:20181110193546j:image

観た

ボヘミアン・ラプソディー」を観た。最後のライブエイド のところでボロボロ泣いた。この映画でこれだけボロボロ泣くのは、ちょっとおかしいかもしれないと自分で思ったが、音圧とフレディーの魂にやられてしまった。

映画だから感動するように作ってあるのだけれど、そうとわかっていても、やっぱり音が重要なのだ。家で聴くクイーンとは同じものとは思えない圧倒的な音、音、音。

そして全ての愛するもの、弱き者への強烈なメッセージ。それはどこか上滑りするようなチープなものでもあるのだが、ドラムがあり、ベースがあり、ギターがあり、ピアノがあり、そういったバンドのケミストリーで奇跡が起こるのだ。

自己との戦いの中で勝ったり負けたりを繰り返しながら、僕らは齢を重ねていくのだろう。

生きる

明日『ボヘミアンラプソディー』を見に行く。クイーンのヴォーカル、フレディー・マーキュリーの伝記映画と聞いている。

彼は僕が学生の頃に亡くなった。衝撃だった。クイーンというバンドに出会って数年しか経ってなかったが、僕を夢中にさせるには時間はかからなかった。

このブログの始まりでCoccoの事を書いた。彼女の歌が俺を再び覚醒させた。彼女の腕には、『L I V E』という傷があるらしい。あまりにも繊細な話じゃないか。

ただ生きるのは、簡単なのか。繊細な生を生きる者にとっては、簡単とは程遠い。

クイーンの歌詞は有名な曲はいわゆるクサイものが多い。弱者を鼓舞するような歌、肯定的な生、愛を歌い上げている。だからこそ全世界にファンがいて愛され続けているのだろう。

歌は普段言えないような事を歌うのが、いいのだ。それがカタルシスをもたらすと思う。

いいかもしれない

日曜日ロングライドに出た。一応薬も持って行ったが結局飲まずに帰ってきて、それ以来飲んでない。

ソラナックスを一時的に絶っている。朝の寝起きがいい。やはり安定剤と睡眠薬の両方では、効きすぎて、寝起きがつらい。

安定剤を絶っていると、精神的に好調のような気がする。仕事も順調だと錯覚するのかもしれない。

ダメな日も来るだろう。その時はアルコールで乗り切るか、ソラナックスに頼るか、何もなしで乗り切るか。

朝、嫁に「らもさんと同じ歳になるぐらいまでは生きたいね」と言った。特に深い意味はない。病気が再発してもすぐに死ぬわけじゃない。それよりも薬の副作用の方が心配だ。

いつでも誰でも、病気になる可能性はある。薬を飲むのもいいだろう。

自分を解放し、イメージを打ち砕く。言ってみれば重要なのはそれだけだ。ジム・モリスンがいいそうなセリフだね。

災難続き

よそで書いていた駄文が、何をどう間違ったか、知り合いに流れてしまった。俺の心を吐露する場所はこのブログと、そこだけだったのに使えなくなってしまった。

このはてなブログもそろそろ、使えなくなりそうな気がする。

なんだか人物を探すアプリだかもあるようで、そこまでして他人の秘密が知りたいのかね、と思う。

また一から地下に潜って、一から駄文を書き連ねなければならない。幸いにも愛読者はごくごく少数なので、引っ越ししても何処かで会えるような気がしてならない。

書くことは変わらない。むしろ増えて研ぎ澄まされていくような気がする。

いろんなキャラクター生み出した。俺はそれらが組み合わさって物語が出来上がっていくのを、書き留めるだけだ。