喜怒哀楽

時々なんで生きているのだろうと思う。苦しいことは実に多く、悲しい出来事、苦しい仕事があり、友は皆偉くなり、幸せそうに見える。

子供は言うこと聞かないし、嫁はしっかりやってくれているのだが、俺がわがままなせいで、迷惑かけてばかりだ。

詩を書き、小説を書き、絵を描き、音楽を聴き、本を読む。俺がしていることは、これだけだ。これだけで十分だと思うのだが、なにかが大きくかけていて、俺の生活はつまらないものになっているのだろうか。

自分の環境を少しづつ変えていき、飽きがこないようにしてるのだが、楽しさと言うのは、一体どう言うものだったのか忘れてしまった。

むしろ人生っていうのは楽しいことが前提じゃないような気になってくる。俺がよく読んでいるブログの作者さんはいろんな意味で人生を謳歌しているいわゆるリア充のように見えるのだが、このブログを読む限り俺もそう見えるのかもしれないが、もう生きていてもしょうがないと思うこともあるのだ。

しかし、それが自分勝手なこともわかっていて、俺がいなけりゃ困る人、悲しむ人も数人はいて、いるはずで、その人のために生きているのだろうか、俺は自分のために生きてきたはずなんだけど、誰かのためになればと思って、いろんな作品を作っているのだけれど、まあ、それはそれとして、俺が払っている犠牲に対して見返りが少ないと思っているのだろうな。たぶん。

俺は責任感がまるでない。そう思う。家族に対して、地域に対して、会社に対して、日本に対して。この日本を守ってくれた先人達に対して、俺は責任があるのだろうか。

ただ俺の師匠、中島らもは「数年に一度、生きてて良かったと思う日がくる。ただ、その日を待ちわびながら毎日を乗り越えていくしかない」と言っている。彼が鬼才で、俺は凡人だから、俺には生きてて良かったと思う瞬間がわからないのかもしれない。

俺は辛いことがありすぎて、いろんな感情をすべて捨ててしまったのだろうか。

長い愚痴になった。すいません。

顔を描くのは難しい

今日も朝練をして、4時起きでオードリーの顔を描いていた。正確には顔はある程度出来上がっていたので、ティアラの右の部分と、編み込んでいる髪の毛を描いていた。

それを描き込んだら完成の予定だった。でも全部出来上がったら、片桐はいりだった。知ってるだろうか。片桐はいりを。とても目力の強い女優さんだ。

俺は朝5時半寝ぼけている嫁に言ったんだ。これはオードリーではない。片桐はいりだと。目力が強すぎるって。顔のバランスがオードリーではないのだ。たしかに綺麗ではあるが、可愛らしさがないのだ。ギロリとした目で微笑んでいるのだ。

最初描いていた時よりも、輪郭をだいぶ小さくしたので、各パーツの大きさがおかしくなってしまったんだ。おでこが狭いのがまた可愛くないのだ。テカっとしたおでこが大変可愛らしいのに、俺のオードリーは狭くてつまらない。だから眉を少し下げて、目を少し小さくしなければならない。

写真通りの顔を描くのは大変難しい。似顔絵描きの人はすごい技術を持っているのだろう。俺はこんなに時間をかけているのに、一人のかおも完成しない。

ああまた明日も朝練をしなければならないのだろうか。目を全部描き直すなんて、ありえない。でも、やるしかないのだろう。天国のオードリーはきっと俺を応援してくれるはずだ。ついでにグレゴリー・ペックも。

読書感想文らしきもの

俺がまだ病気で目が不自由になる前の話だ。俺は読書家だった。海外ミステリを好み、ハードボイルド系、推理系、冒険SF系など様々な本を読み漁った。俺にとって読書は現実逃避の場所であり、知識の源であり、自分と社会とをつなぐ道具だった。

それがどうしたものか、目が不自由になり、字が読めないことはないのだが、長時間本を読むと目が疲れ内容に手中できないぐらい、文字を追うことが困難になるのだ。俺は病気をしていろんなことをやめたが、読書をやめたことが一番つらかったと思う。俺は自分を作っていた柱の一本を失ったのだ。

俺の昔のブログでは読書感想文を書いていた。読んだ本を次から次へと批評し、感想を書き、言いたいことを言っていた。偉そうなもんだが当時はそれが何か当たり前のように思っていて、海外ミステリファンと友達になれるかもなんて、思っていたのかもしれないね。結局誰とも友達にはなれなかったが、俺の書いた読書感想文はまだこの膨大なウェブの中に残っているだろう。それが、いいものであっても、悪いものであっても。

ダン・ブラウンの「インフェルノ」を読んだ。電子書籍で。文字を白黒反転させて、大きな文字サイズにして読んだ。最後まで読むのが苦痛じゃなかった。むしろ、さすがダン・ブラウンと思わせる部分が随所に出てきて、楽しかった。俺は美術ミステリに目がない。俺は絵が好きなんだ。だから、最近油絵を始めたんだ。

目が不自由で絵が好きで読書好きというのは、難しい選択肢なのかもしれないが、難しいからこそやりがいがあるとも言える。簡単にできるようなら飽きてしまうかもしれない。

とにかくオープンキャンパス

また今週もオープンキャンパスに行ってきた。今まで行っていたところは、抑えで今日行くところが本命だと言うのでどういうところなんだろうと、興味があったから、特に行かなくても良かったのだが、送迎役を申し出て、車で出向いた。

その大学は少し小さめの大学で俺がイメージしている大学とはちょっと違うけれど、今はそういうものなのだろうと、時代の変化を感じている。

俺が学生だった頃はのんびりとした時代で、大学生になってもフラフラして、何になるとかあまり考えず、バイトして、恋をして、遊んでばかりいたような気がする。

今はもう高校生のうちから自分の将来を見据えて、いろんな選択肢も視野に入れつつ、ほぼほぼ職業を絞り込んで行かないといけない。早めに絞り込んだ方が有利に働くという部分もあるので、高校生で自分の進路をはっきりと決めるなんて、なかなか難しいと思われるが、皆それをやっているのならば、ついて行くしかないだろう。

専門職というのは難しいものだと思うが、何かなりたい職業があるというのは素晴らしいことだ。とにかく勉強しなければならないことが山ほどあるだろうが、最終的には自分のためになるので頑張ってほしい。

とても真面目な父親みたいない思われるかもしれないが、俺は自分のことしか考えてないよ。しっかり稼いで俺の老後を楽にさせておくれ。

美魔女と呼ばれて

この間オードリー・ヘップバーンの「ローマの休日」の一場面を描いた絵をアップしたが、嫁が似てるけど美魔女だと言った。若い時のオードリーではなく、わりとユニセフ大使とかしてた頃のオードリーだと言うのだ。

うすうす俺も老けたオードリーだなって思ってはいたが、まさか美魔女って言われるとは思ってなかった。たしかによく見ると目から鼻の位置までが若干長いのだ。嫁も女子だからその辺を鋭く指摘してきて、頬の位置が下すぎると何度も俺に言っていた。

だから俺はこの間のオードリーをリフトアップさせねばならない。ヒアルロン酸注入じゃないけど、鼻と頬と口の位置を3ミリか4ミリぐらい上げなければならない。せっかく早起きして朝練までして描いたのに、もう一度書き直しだ。

しかしだ。ローマの休日だから、老けたオードリーではかわいそうだ。天国のオードリー・ヘップバーンも苦笑しているだろう。

映画スターは残酷な職業だ。若い時のイメージがどうしてもつきまとうから、歳をとれない。今はそれなりにお金をかけて、なんとかなるようだか、昔は違っただろう。

とにかく明日描き直して、オードリーには若返ってもらおう。デビュー作なんだから初々しい顔にしてあげたいね。

終わらない話

いつもブログを書くときは、400字ぐらいで終わるようにしている。時間の問題もあるが、読んでいただく方が、そんなに苦労しないように、短く書こうと決めている。

時に興が乗って長々と駄文を連ねることもあるけれど、あまり内容があっても読む方はしんどいだろうと思うのだ。

たいして面白くもなく、何か情報らしいものがあるわけでもない。感情をぶつけたり、出来事を羅列したり、何度も同じことを書いてみたり、あちらこちらと節操がない内容です。

まだ書くことがあっても、字数が来たからもう終わりってことも、時々ある。ブログに割ける時間が少ない時もあるから。

読者がゼロの時もあるし十人を超える時もある。近頃は皆忙しくどうでもいい話に付き合ってくれる人はそう、多くない。

閑話休題。今日近所のクリーニング屋さんに行って、お気に入りの夏ジャケットと嫁の冬用のコートを出した。1700円ぐらいだった。もう夏も終わりだね。今年の冬は寒くなるのだろうか。

今400字を超えた。お話は終わり。

 

 

 

 

 

朝練と賢治

俺は真面目でストイックな宮沢賢治が好きだ。いくつか本を持ち、詩をそらんじる。春と修羅の中で、賢治は俺は修羅だという。俺は最初意味がわからなかった。賢治は「雨ニモマケズ」を読んでもわかるように、優しく真面目で思いやりがある人だと思っていたから、そんな賢治が修羅だというのは、腑に落ちない。

賢治は真面目な仏教徒だったから、小さな徳を積んで病気の妹を助けようとしていたのだけれど、社会に出て自分には徳を積んで妹を助けることができないと気づいて、自分を修羅だと言ったと、物の本に書いてあった。

それが本当かどうか知らないが、銀河鉄道の夜にしても、春と修羅にしても、仏教用語がたくさん出てきて、抽象的なイメージであふれているので、とても美しいのだけれど、少し理解は難しい感じがする。

俺も誰も助けられないのだけれど、一所懸命自分のこと、他人のこと、できる限りしてあげれば、いいのじゃないかと思うのだ。

俺は優しくはないが、生真面目な一面があって、今朝は宣言通り朝練をした。4時半に起きて絵を描いていた。だいぶオードリーの顔に近づいた。

賢治も生きていればこの絵を気にいるかもしれないね。

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