心のずっと奥の方

まず常識というのを疑ってかかるところから始めましょう。

今僕たちが過ごしている文化なり倫理観というのは戦後アメリカに押し付けられた、アメリカファーストの経済観念であり倫理観なのです。そしてその文化を成熟させ、煮詰めて濃縮したのが現代の倫理観、もしくは文化なのです。

僕らは昭和の終わりから平成にかけて、色々な映画やドラマをテレビで見てきました。それはとてもソフィストケイトされた代物で、現実ではあり得ないような、設定だったり展開だったりします。しかしそれが日本人全員の心に染み込んだ瞬間それは、現実可能なおとぎ話になり、その虚構の世界があたかも正しいような気になってしまうのです。

 

僕は若い頃、好きな人がたくさんいました。若い頃はもてたので何股もしようと思えば出来ました。みんな同じように好きだったから、誰か一人に決めるなんてできなかったのです。

当時僕が読んでいた小説にこんなセリフが出てきたことがあります。

「人を死ぬほど好きになるってことが、そんなに悪いことだろうか」

ただこちらが一方的に好きになるのは苦しいだけかもしれませんが、心の中で誰かを好きになる、そういう存在が何人もいる、それが悪いことだと僕は思えません。

俺は誰かの所有物ではないですし、好きな誰かも誰かの所有物ではないと思います。

 

長くなりました。ジジイのたわむれだと思って聞き流してください。