数字の話

時々会社で数字の話がややこしくなる時がある。会社は営利団体だから、利潤追求のため、どうしても、データを重んじる傾向にある。理論上は365日1円節約したら、365円のプラスになる。

その考え方は間違ってはいないし、お金を貯めるためには、お金持ち以外はどうしたってそう言った節約をしなきゃならない。

だけど節約というのは行き過ぎると、とても神経質なものになり、心に余裕がなくなるような生き方になる。

データの扱いについてもそうだ。いろんな情報が公開されより合理的な社会になりつつあり、その中で非効率な事やものは、罪深き存在として難しい立場にある。

一方心のゆとりを求めて瞑想やヨガ、マインドフルネスと言った言葉もよく聞く。合理化で心を病んでしまった人たちが、心のケアを求めた結果だと思う。

そこにもやはりお金が存在し、合理化や効率化で病んでしまった心を今度は、瞑想やマインドフルネスと言った癒しにお金を使えと、言ってるようでそれはそれでいいんだけど、数字に振り回されてクタクタになるし、あれがいるこれがいると言ってものを買わせるやり方も気に入らない。

評価や肩書き収入なんてどうでもいいや、と俺が言ったら負け惜しみにしか聞こえないが、できる限り気にしないようにしている。

俺は詩人だ。殺人鬼ではない。精神分析学者でもない。ただ昭和のヒーローを愛しているおっちゃんに過ぎない。