哲学とは〇〇だ

中学生の子供が「哲学的に言って、天才とは…」みたいな話をするから、嫁が俺の大学生時代の話を思い出して、ゼミの話聞いてみてみと言ったんだ。

30年ぐらい前の話だ。俺はK大学の文学部のUゼミに行くことになった。なんとなく面白いことをする先生だなって思って決めたんだ。

三回生のはじめてのゼミの授業でやってたのはサルトルの「存在と無」だった。俺は二十歳そこそこだったが哲学とは無縁に過ごしてきたので、その授業でやっていた「存在と無」の話が一言たりとも、1秒たりともわからなかったのだ。俺は自分で言うのもなんだが、理解力はあるのだ。応用力はないけど。読書家で夢想家だったから、たくさんの言葉を知ってるつもりだったが、哲学の世界は、専門用語が独特で普通の人の理解を拒むような言葉遣いをするのだ。

それは哲学や思想の持つ言葉の厳密性が難解な専門用語を生むのだけれど、慣れるまでは何を言っているのかさっぱりわからない、と言うことがよくある。

だから俺は哲学用語辞典を買った。でも哲学用語辞典も専門用語を専門用語で説明しているので、言葉の意味を理解するのに大変な思いをした記憶がある。

それで俺はまずは初歩から始めようと言うことで、その当時ちょっとブームになった「ソフィーの世界」という北欧のどこかの国の小学生向け哲学入門書を買って読んだ。とてもわかりやすくソフィーという女の子と一緒に、古代ギリシア哲学から少しづつ学んでいくのだ。近現代の哲学のところまで来ると、あまり理解できなかったのか説明がなかったのか覚えていないが、よく覚えていない。

だけれども相変わらずサルトルの「存在と無」は強敵であり続け、俺は一行たりとも読んでないし読む気もない。だいたい存在そのもに疑問をていしても、それを数学的に証明しようとしても結局のところ、言葉の壁を乗り越えれない気がするのだ。

思想のための思考というものは面倒で、終わりのないマラソンを走っているようなもの、と俺は思う。

哲学とはなんでしょうか。そんなことよりも、俺はその当時付き合っていた彼女と手をつないでいるだけで、幸せだった。