朝練と賢治

俺は真面目でストイックな宮沢賢治が好きだ。いくつか本を持ち、詩をそらんじる。春と修羅の中で、賢治は俺は修羅だという。俺は最初意味がわからなかった。賢治は「雨ニモマケズ」を読んでもわかるように、優しく真面目で思いやりがある人だと思っていたから、そんな賢治が修羅だというのは、腑に落ちない。

賢治は真面目な仏教徒だったから、小さな徳を積んで病気の妹を助けようとしていたのだけれど、社会に出て自分には徳を積んで妹を助けることができないと気づいて、自分を修羅だと言ったと、物の本に書いてあった。

それが本当かどうか知らないが、銀河鉄道の夜にしても、春と修羅にしても、仏教用語がたくさん出てきて、抽象的なイメージであふれているので、とても美しいのだけれど、少し理解は難しい感じがする。

俺も誰も助けられないのだけれど、一所懸命自分のこと、他人のこと、できる限りしてあげれば、いいのじゃないかと思うのだ。

俺は優しくはないが、生真面目な一面があって、今朝は宣言通り朝練をした。4時半に起きて絵を描いていた。だいぶオードリーの顔に近づいた。

賢治も生きていればこの絵を気にいるかもしれないね。

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