ゆっくりと書こうか

本日も書くには色々とありました。一つ一つを取り上げて書くこともできるのだけれど、そんなことは詮無いことだ。ろくでもない広告コメントが海外から毎日きて嫌になる。

面倒なことを言ってくるくる奴が多くて困る。社会人になればそんなことは日常茶飯事なのだけれど、俺はわがままに育ったから、いらいらしてしょうがない。俺は誰が何を言おうが、気にしない。ってほどでもないが、たいがいの人間はどうだっていい。俺はだいたいの人間よりも賢いけれど、だいたいの人間よりも謙虚だから、黙って話を聞いている。そうやな、そうやなって。

簡単なことだ。たいがいは皆、怒りに満ちているオームにすぎない。ナウシカのオーム。ナウシカは言う「怒りで、我を忘れているわ」ナウシカメーヴェに乗って、虫笛をならす。時にはオームは冷静になり、目が攻撃色の赤から青に変わる。

俺がやっているのは人の話を聞き、虫笛をならすことだ。怒りそのものにはあまり意味はない。内容を吟味し、話の着地点を用意し、そこにソフトランディングさせるようにする。会話というのは簡単なものでもある。

黙っていれば相手は勝手に話を進めていってくれどこかに着地しようとする。最終的に着地点が俺が気に入らなければ無視をすればよい。あるいは着地点が気に入らないと、言えばよい。

話しかけ、聞き、問題がありそうか、なさそうか判断し、物事ってそうやって進めていくんじゃないんだろうか。時には非情にならざるを得ない時もある。俺は勝手な人間だから、突き進むときもある。恨まれるときもある。

それはしょうがない。皆から愛されるなんて、考えるほど、人間離れしていない。

愛情は人並みだ。優しさも人並みだ。俺はハードボイルド小説を読んで育った。フィリップ・マーロウは優しいだけの人間じゃない。スペンサーも。

自分の話が多くなった。情けない。自我をコントロールしなければ・・・・・・。