道具

道具にお金をかける。そうすると嫁は怒るのだが、いいものを買うということは、結局のところ節約にもなると思う。いい加減なものはすぐダメになる。だから俺はお金が許す限りいいものを買う。買いたい。

何がいいものなのかは、個人の主観や道具の使い道によって違ってくるとは思う。だけど一般的にいっても、個人の経験からいってもいいものは高い。

俺は職人だった。魂の入った職人だった。目の病気をするまでは。いまでも職人っぽい仕事には就いているが、魂は職人ではなくなってしまった。目が見えなくて、細部がわからなくて、職人でいることは大変難しいことだ。

職人にとって道具は命の次に大切なものだ。心を込めて扱えば必ず応えてくれる。いい道具は手になじむし、バランスがよい。疲れにくい。今はいろんなコンプライアンスのせいで、道具の選択肢がせばまってきてる。もう職人という職業でさえ、物作りの前に厚い壁が立ちはだかる。そういうのがイヤだから俺は職人になったのだが。

梅田にでてKAWACHIで筆を買った。セットに入ってなかった極細筆二本と細い筆一本。新しいちょっと大きめのキャンバス。練り消し。持ってない種類の絵の具と筆洗いようバケツ、筆洗いようオイルもかおうとしたのだが、やめた。道具を少しづつそろえていくのも楽しみの一つだ。俺は自転車の時に道具を少しづつ買い揃えていく楽しみを知った。だから、また今度来たときに少し買い足そう。夢は膨らむばかりだ。アルミ製のイーゼルも欲しい。というかやっぱアトリエが欲しいよね。自分専用の。

当然だが嫁はいい顔しない。またややこしいこと始めやがったと思っているだろう。事実始めたんだ。ややこしいことを。でも元々絵をやってたのは俺じゃない。嫁の方だ。今でもどこかに光ってちょっと斜めになってるテーブル台みたいなのが家のどこかにおいてあるはずだ。結婚したての頃、これで子供と一緒にお絵かきするといって、嫁入り道具として持ってきた。彼女は覚えてるだろうか。嫁は子供に絵を教えたことは俺の知る限りない。編み物とかは教えてたみたいだが。

いつもいうようだが人の欲望は限りがない。知ることが常に欲望につながる。無知ならば欲望とは無縁でいられる。うまく付き合うしかない。物欲と。