変化

OREH今日向かいの人が変わっていくことについて話していた。人は変わっていかなくちゃならない。いつまでも同じでいるということは、成長しない、子供のままだということだ。

時代が怖ろしい勢いで変わっていく。その中で会社員、中間管理職である僕も役割が日々高度に複雑に、現代社会に対応するように、変わっていかざるを得ない。とにかく情報を駆使し、頭を働かせ、計画を立て、実行し、見直し、そういった作業を行わなければならない。

だが少し待て。俺はもう時代遅れの男なんだ。昭和の男。高倉健を頂点として、寡黙で非合理的な生き方をする男。そういう美学なのだ。

現代では時間を効率的に使い、スマートな仕事をする人々が現れ、有給を取得し、家族サービスをし、余暇を楽しむ。そんな人々が増えている。それはそれでいい。

俺は70年代後半から80年代に書かれたハードボイルドに非常に影響を受けて育った。スペンサー、マット・スカダー、ハリー・ボッシュ。組織、反権力、自立心、自尊心、そういったヘミングウェイ的な価値観にどっぷりと浸かり、抜け出せない。

と言うか抜け出す気がない。それは俺が変化を嫌っているということだ。俺は美しい心というものの存在を信じている。無償の愛。なぜ?と聞かれてスペンサーは「気分がいい」と答えた。そう無償の愛は気分がいいのだ。

もう思い出せなくなった、ポール・ジャコミンとの会話。人は常に判断を迫られる。スペンサーもマット・スカダーもあっちつつき、こっちつつきして答えを出していた。常に他人は嘘を付くが、どこかで辻褄があわなくなる。

このあいだ書いたAAの言葉。自分に変えれるものを変えれる勇気と、変えられないものを受け入れる冷静さを、そしてそれらを識別する知恵を与えたまえ・・・・・・。

そう愛という価値観も大きく変わっていく。昭和世代の愛はもっとストイックで不器用だった。今は何でもアメリカ式でサプライズ、奉仕、そういった愛が溢れている。日本はいつからアメリカになったのだろう。

俺の一部は常に変化していく、それは老いだったり、立場だったり、仕方の無いものだ。でも大切にしている価値観までは変えられないし、変えたくない。それは俺が昭和の男だからだ。