滝川英治氏

事故のこと今知りました。同じ自転車事故で後遺症を患った人間として、とても興味深く記事を読ませてもらいました。

滝川さんは僕の大学の後輩ですね。知りませんでした。というか失礼ながら今始めてお名前を知りました。脊椎損傷、弱虫ペダル・・・・・・。自転車乗りにはやはり危険がついて回るのでしょうか。それともただ取り上げられやすい存在なのでしょうか。バイク乗り、歩行者、自動車、馬そういった乗り物と比べて本当に自転車はより危険な乗り物なのでしょうか。誰かデータありませんか。

僕は失明しました。今は少し回復して人の半分ぐらいの視力、見え方ができるのでしょうか。その代わりにたくさん薬を飲みます。再発防止のために。

滝川さんはリハビリに頑張っているようですね。左手が少し動き、右手の感覚が戻ったようですね。よかったです。999年分泣いたとおっしゃてたみたいですね。僕は病院の廊下を嫁に手を引かれながらよく歩いていました。僕はアスリートで運動したかったから、それに病院では目が不自由だとあまり、時間がたたないから。

嫁と廊下を散歩しながら、僕もよく泣きました。僕にもやりたいことがたくさんあったんだ。子供も小さくて僕はこれからたくさん子供と遊ぼうと思ってたんです。でもそれができなくなった、と当時は思いました。

退院して家に帰ったときに大きな文字で「お父さん、お帰りなさい」と張り紙がありました。僕はまた泣きました。もう君のお父さんは昔のお父さんではない。あの陽気で楽しかったお父さんではないのだと。

嫁は心配することはないと言いました。あなたがどんな風に変わっても、あなたが父親であることは違いないし、子供達も少しずつ変わっていくお父さんを受け入れてくれるだろうと。また、少しずつ関係を深めていけばいいと彼女は言ったんです。

社会に復帰しても病気を理解してもらえないし、自分の思うように何も進まない。それは健康であっても変わらないことなのかもしれないけれど、僕はそれを病気と結びつけて考えてしまう。自分にできることは限られていて、そこを越えると他人に頼らざるを得ない。それが面はゆくもあるし、悲しくもある。

滝川さんは僕よりも症状が重いようだけれど、僕は親近感を感じます。勝手ながら応援させていただきます。

僕ももうあれから5年はたったでしょうか。手足のしびれはなくなってきつつあります。もし読書ができる状態ならリンカーン・ライムシリーズを読んでみてください。僕はまだちゃんと目が見えていた頃に読みましたが、ライムもまた神経損傷して車いすにのる夢のような存在です。

医者はあきらめろっていいました。僕はあきらめたわけじゃありません。ただ戦ってもいません。毎日できることを少しずつ積み重ねて、たどり着くところは風にまかせて、嫁にまかせて、色んな人にまかせてます。