依存症

依存症。俺は何依存でもない。と思っていた。だがたぶん違うと思う。俺はすぐに何かにのめり込むタイプで、ここ数年は自転車中毒だった。

思えば俺はギャンブル中毒でもなく、アルコール中毒でもなく、そういった一見体に悪いもの、財布に負担のかかるものには手を出さなかった。らもさんを崇拝し、マット・スカダーのファンだったが。

断酒、AA、そういったブログの人がたまに見に来るみたいで、そちらのブログを読むことがある。AAの祈りは俺の好きな言葉の一つだ。

ニーバーの祈り

私たちに変えられないものを受け入れる心の平穏を与えてください

変えることのできるものを変える勇気を与えてください

そして、変えることができるものと変えることができないものを見分ける賢さを与えてください

この祈りはキリスト教発信のもので、第二次世界大戦前後ぐらいからアメリカのAAで使われていて現在では、日本のAAも取り入れてるようだ。

ローレンス・ブロックのマット・スカダーシリーズでこの言葉が一回でた。俺はその当時クソ生意気ないやな野郎だったが、俺は変えることができるものを変える勇気を欲していた。だが十分に賢くなかったので、変わったけれど思ったほど変わらなかったのだ。たぶん。

俺は活字依存症だった。本の世界の中に生きていた。それがよかったと思うときもあるし、非現実的なことを信じすぎていて、周りの人には突拍子もないような人間に見えることもあるだろう。本は理論的になりすぎるきらいがあるし、現実はあまりにも回転がはやく機知に富む人間の独壇場だ。

俺みたいなのんびりした人間は、現実からはどうしたって遠ざかって行く。時の川を渡る船にオールはない。流されていく。とユーミンは言っている。

性懲りもなくまた、油絵なんぞ始めて、夢中になるのかなって心配している。