すべての若き野郎ども

どうしたってマーク・ボランにはなれないから、今日もここでちまちま文章を書こう。若くてやらかしてる野郎どもには明日がぎっちりつまってるし、目の不自由なおっさんには語るべき言葉のかけらも浮かばず、ただ日々の仕事をこなすのに精一杯だ。それでもおまんまを食って、ビール飲んで、プロチゾラムをのんで、無事に明日までたどり着いて、せっかくだから、また同じような日々をこなそうとして、誰かがどこかでへまをやらかして、俺にオハチが回ってくるってすんぽうだ。ちきしょう。

朝起きてまた一つ勝ちだと思えるならば、心もまだ健康だろうが、わがままが過ぎる人たち相手には、うんざりしなけりゃならない。若き野郎ども明日を捨てると、そんなふうになるぞ。

モット・ザ・フープルの歌には自殺未遂でハイになってる少年が出てきて、一晩中しゃべりまくりだったが、おれはもう若くないから、少しずつしゃべるしかないのだ。俺がどんな坂を上って、どんな坂を転げ落ちたかを。そうだよ。上ったり降りたり、そいつは忙しいもんだ。でも若き野郎どももいずれ、自分が坂を転げ落ちるみたいに、老いさらばえて、ケーキを食べてるつもりが、自分の足の親指だったってことになりかねない。

こんなおっちゃんがいてもいいじゃないか。そうだ、サイコロで右か左か決めちまおうぜ。共和党と見せかけて、民主党、右翼と見せて左翼。

自由だ。自由を愛しているんだ、そうだろう。清志郎さん。難しいことは誰かに任せるよ。自由だ、世の中には空があって光を集めて、歌を紡ぐのさ。そうだろう。賢治さん。