マシンガン

ラスベガスで銃乱射があって、50人以上が亡くなった。ラスベガスのあるネバダ州は比較的容易にマシンガンが手に入ると、町山さんは言っていて、狙撃者のいたホテルの部屋には数十丁ものマシンガンと数千発の弾丸があった。

そのうち犯人の詳細がわかり、社会との関連づけがおこなわれ、頭のいい人が原因のようなもの、これからの対策のようなものを話すのだろう。でもアメリカは銃規制しないだろう。アメリという国にもしアイデンティティがあるとすれば、それは武装闘争で本国イギリスから独立した原体験によるものだ。

今のアメリカの移民の大半はそういうのとは関係なく、もってなければもってるやつに勝てない、そして大半がもっているから、自分も必要だということなのだと思う。北朝鮮と同じようなことだ。

簡単に手にはいるからと言って、これちょうだい、はいわかりました、と言うほどマシンガンは簡単には買えない。銃乱射の犯人の精神状態がいったいどんなだったか、知りたいものだ。

銃という道具は人を殺すためだけの道具だ。そして人類の歴史は戦争の歴史だ。口喧嘩では生き残れないのだ。こんな文章を何万と書いても、一発の銃弾で僕は死んでしまう。だから・・・・・・

世の中のエリート養成システムが人間性を排除している。個性を埋没化させ、普通であることを強要される。誰も普通ではない。

とにかく日本に銃刀法があってよかった。でなければ俺は誰かを殺していたか、誰かに殺されてたか、生きていくことに疑問を抱いて、くわえていただろう。