消えた原稿

消えた原稿などと書くと、なんだかミステリの出来損ないみたいで、恐縮だけど、このあいだ保存せずに消した原稿のことを少し書こう。

NHKドキュメンタリーの「江夏の21球」を見た。それで思ったことを600字ぐらいで書いたのだが、なくしてしまった。印象は強烈で三日たった今日も少し考えていた。江夏のこと、江夏の生きた時代の野球、子供時代。

あらためて今日思ったのは江夏の男気のことだ。男気があるということは、同時に繊細であるということだ。プライドが高く傷つきやすい。天才というのは調和という点に置いては、全く才能がない。逆に調和できるようでは凡人であるということだ。

野村克也の解説で丁寧に一球ずつ説明する。江夏はテレビ局でタバコを吸いながらパンチパーマで、革ジャンでインタビューを受けている。衣笠、古葉監督、西本監督、佐々木、石渡、いろんな人が出てきた。俺と同じ年代の人間は懐かしいだろう。大阪球場。1979年。

一点差、負けている場面でノーアウト満塁で一点も入らなかった。そのまま広島が日本一になった。いろんなミスと偶然が折り重なってそうなった。それは必然でもある。

消えた原稿などと書くと、名文を書いたような、偉そうなタイトルだが、俺は江夏にシンパシーを感じて、愛情を感じて、それを表現したくて書いたのだ。

あのスクイズを外したボールが意図されたものだったかどうかは知らない。江夏は「自分でやったからって分けじゃないけど、神業やね」とインタビューで答えていた。

神の技を持つものは天才で、天才はやはり異形の輝きを放つのだと思う。