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知識と教養

エッセイ

最近は・・・だ、みたいな話はもううんざりなのだが、僕も一つその手の話をしたい。知識と教養の話だ。

みんなすこぶる賢い。もしくは自分の必要な情報に関してはおそろしく詳しいし、底知れないでーたをもっている。それにみんなしがみついて離そうとしない。いいデータも悪いデータもごっちゃにして、抱え込んで分析することなく都合のいいときに都合のいいデータを持ち出して話をするもんだから、話に一貫性もないし、思想もポリシーも見えてこない。

知識や情報量の豊富な人で扱いにくいのはそういう人だ。情報を分析し整理し、中身を抽出するだけの教養がない。それはほとんど人間性の欠如といっても過言ではないものだ。教養とは何か。知識だけでは追いつかない想像力と思いやり、感情の部分だ。

たとえば明智光秀が本能寺で織田信長を暗殺した。これは皆が知ってる知識で、なぜそういうことをしたか、そこに至るまでの彼らの関係性、倫理観、宗教、その他いろいろな要素をひっくるめて、教養になる。人間の心の奥に潜む何かと何かがぶつかってそういうことになるわけだ。

だけど信長はテレビの本能寺の変とかでは、「敦盛」を舞う。実際はそんな余裕はなかっただろうという話だ。だけど知識としては「敦盛」を舞ってなかったとしても、教養としては火にあぶられながら「敦盛を舞う」信長のほうがリアルであるし、人間性を感じられる。作為的な人間性は時に人を間違った方に導くが、そういう曖昧なところがまた、教養の良いところであると思う。