休息

休息が必要なときがある。僕は人生につまずき3度長期休暇を取った。いずれも約半年間ぐらいだったが、休んでいる間は焦り、妄想が、頭の中に入り込み、責任感、働くこと、いろんなことが、重くプレッシャーとなってのしかかる。

桑田バンドの曲を聴いていた。サザンが「KAMAKURA」のアルバムを出し、こりゃビートルズの「white album」みたいだなって思って、いろんなエゴが充満して何とか、バンドとして成立しているけど、もう長くないな的albumだった。だけどサザンは解散せず休息と言う形を取り一人脱退したが、現在までバンドとして活動している。

ある集団が同じ方向を向き続けるのはとても難しいことだ。例え桑田佳祐が偉大な才能を持っていたとしても、人はもつれ合いこすれあい消耗していく。明確な利益がそこにあれば、人は集団として成立するがそれ以外はいずれ破綻するだろう。

夫婦という最小単位の集団でも同じだ。長い間に消耗する。主従関係がしっかりしていれば、長期的な利益がそこにあれば、比較的長い間続くだろうけど。夫婦にとって休憩とはなんだろう。別居。家庭内別居。セックスレス。愛情という目に見えないものでつながっているだけなのは、とても不安定だ。喜びや悲しみを共有してなおかつ、生活に疲れてしまわないように、しなければいけない。

俺は休憩の達人でもある。だから走り続けられるのだ。おまえがゲームしてる間、昼寝してる間、走り続けるのだ。そして疲れてもう動けないって思ったときだけ休むのだ。

俺は変わってしまった。休憩をとる度に真面目になっていく。自分にのめり込みこの世から逃げよとしてる。走りつづければ逃げ切れる。俺はニューバランスのランニングシューズで走り続けてやる。