平等
レースは平等じゃなければ茶番だ。だけれど平等の線は誰が引くのか。
ランスのドーピングの話を書いた。けれどほぼ全員やっていたと思われる当時
公平性という意味においてはどう考えたらいいのだろう。もちろん才能があって
有能だったけれどドーピングに手を染めなかった選手の、活躍の機会を奪ったのは
間違いない。有能ではないけれどドーピングのおかげで一流選手になった人もいただろう。
僕たちは茶番を見ていたのか。それとも熱い男たちの戦いを見ていたのか。
昨日、2009年のツールを見ていた。7年前のツール。バッソ、サストレ、コンタドール、アンディ、そしてランスが走っていた。ライプハイマー、クレーデンも。幸也とフミが走っていた。
栗村さんの解説も今みたいに奥歯にもののはさまったような感じじゃなくて、本当にロードレースが好きな人って感じでとてもよい。
ランスはインタビューで言ったそうだ。これまで走った全てがまやかしではない。仲間と過ごした苦労、勝利、情熱は本物であった。そしてその思い出を私から奪うことはできない。と言っていた。
うまくいえない。基本的にはやっぱり僕はランスがあまり好きじゃないんだろうと思う。それはドーピングうんぬんという理由からというよりも、ガキ大将だからだとおもう。
ただ昔のDVDはときどき見ると何ともいえない気持ちになる。
おれを自転車キチガイにさせた何かがつまっている。