写真もとらずに
基本昭和の人間だから気軽に写真に撮ったりしない。
昨日自転車で金剛山に上って帰ってきた。昼から上った。相方が途中で足がつってリタイヤしたので、僕だけロープウェイの駅まで上ってそそくさと帰ってきた。それでも9時半に家を出て、帰ってきたら8時だった。120キロプラスヒルクライム12キロだと時間かかるわね。
だから山頂付近の満開の桜も、金剛山ロープウェイの駅の写真も何も撮ってない。河南町でやってる民家風レストラングリル愚留芽も、たべたミックスランチも何もない。
写真だけの話でいえば、俺は昨日どこで何をしていたか、記録が残ってない。昔はそれが普通やったんやけど、最近はみな記録を残すことが簡単になった。
昨日の記録が全くないわけじゃない。ガーミンのGPS付きウェアラブル端末235Jが僕の体に張り付き、心拍数、行程、距離、スピード、獲得標高などを記録してくれていたんだよ。だからってどうって事ない。俺は上ったし、そのことをこのブログ以外で共有するとは思えない。このブログにあまり写真とかを載せるのは好きじゃない。
俺は小説家兼詩人兼画家なので、アナログ指向が強いのかもしれん。それにしては描いた絵をあげているけれど。
絵を描き始めてから、写真のなかった時代の絵というのはとにかく良いものだったに違いない。と思うようになった。写真が絵をリアリズムに引き込んだんだと思う。
絵はやっぱり現実よりもよりドラマチックでナイーブであって欲しい。写真が現実かと問われれば違うのかもしれないが。写真を見ながら絵を描いていても、何かサムシングが無いような気になる。
仕事ですから
本日新入社員の研修があって、うちの課にも何人かまわってきたんだが、その中の一人が何を考えているのか口の効き方を知らない奴で、少しイラッとしながら対応した。何かといいわけが多いので、面倒くせえ奴だったのです。最近はあんな奴を簡単に採用してしまって、大丈夫なんだろうかと心配になります。
俺のイライラがみんなに伝わったみたいで、結構部屋がピリッと締まって良かったのか悪かったのか、どうなんでしょ。でも営業職の奴なのにコミュニケーションスキルが低いってどうなのよ。こいつは神経質だから止めとこうみたいなのなかったのかしら。
今年は働き方改革の影響もあって、採用するほうとしては、なかなか人材難だったのかもしれないけれど、しんどい奴入れても、化ける奴もいるけどなあってなるよね。
自分の若いときもこんなんだったんやろうと思うと、恥ずかしい気持ちでいっぱいですわ。言い訳無用。
でも、だって、しかしはいいません。なんてね。昭和やね。
歯医者に行く
歯の詰め物がとれたので、15年ぶりぐらいに歯医者に行った。本当ならばもっと足繁く通うべきなのだけど、痛くないので虫歯とかもほったらかしにしていた。だから詰め物がとれたという理由で行ったのだけど、他にもがっつり虫歯があった。それでまあ全部治そうということに当然なるわけで、特に奥の親知らずがひどいことになっていると言われた。ああ、俺は別に歯医者が怖いわけじゃないし、ただとてもはやっている歯医者なので、やたらと予約がとりにくいのだ。俺はどうでもいいからちゃっちゃか治して欲しいんだけど、次の休みの予定も立たないし日曜日はチャリンコの予定だしもう、休みなのになんだか予定ばかりで、ぜんぜん休めない。
俺は絵を描きたいのだ。俺は油絵に目覚めたのだ。家族のみんなは辟易してるが、自己満足の世界だからしょうがない。
最近の歯医者はサービス過剰だ。そうか。なんだかわからないけれど、予約時間を間違えて2時間早く行ったら、いろんな理由で早くやってくれた。受付のお姉さんは不満だったみたいだが。
ゴリゴリと久しぶりに削られた。なんだかボナロンという骨粗鬆症の薬を飲んでいるのだが、それを飲んでいると簡単に歯を抜くことは出来ないらしい。面倒だ。さっさと抜いて楽にして欲しい。
だかステロイドを常用しているので、骨粗鬆症のリスクがあるらしくボナロンも飲まなきゃならんみたいだ。抜くと骨が腐っていくと言われた。骨が腐るのは困る。どうしてボナロンを飲んでると歯を抜くと骨が腐るのか理屈が理解できないが、まあ大変なことらしい。
だけどソラナックス飲んで、歯医者で麻酔されたら猛烈に眠くなった。たぶん歯医者で寝たら神経の太い人だと思われただろう。いや最近はそうでもないのかな。とにかく歯を治そうと思うって事は、それだけ前向きに生きているって事だ。もっとちゃんと生きようとしてるって事だ。なにもかもどうでもいいのなら、歯を治そうなんて決して思わないから。
しかし麻酔が効きすぎていまも痺れている。何をたべてもうまくないのだろうね。つまらん・・・・・・
神道は神の道なのですか
大相撲で土俵に上がって、救命行為をした女性にすぐに降りてくださいと、相撲協会はアナウンスしたらしい。真意のほどはわからないが、相撲の土俵は伝統として女人禁制となっている。
救命行為はするべきだったと思う。当たり前だ。命以上に重いルールなんてあり得ない。と思う。例えそれがどんな伝統だったとして、土俵が神聖な場所ならばなおさら、救命行為をするべきだと思う。土俵は戦いの場であってお墓ではないから。
しかしこれまでの相撲協会の伝統からいって、歴代女性が国技館の土俵に上がることを拒否してきた経緯がある。ちらと聞きかじった知識によると神道は「血」を汚れたものとし生理がある女性は男性よりも汚れた存在だという理屈らしい。ほんとかうそか知らないが、年輩の方はそういった考え方をする人もまだいるんじゃないかと思う。
実際のところ明治の小説を読んでいて、鍋を囲む場面があった。家族だったか親戚だったか覚えてないけれど、男性陣が先に鍋をつついて、女性は男性が食べ終わってからじゃないと、箸をつけられなかった。
「女が箸をつけた鍋なんて、殿方はお嫌でしょう」みたいな台詞もあって、昔読んだときは、そのころはそんな文化やったんや、ぐらいに思ったんだけど。
男女差別は小さくなっているが、まだまだ存在する。それは事実だ。だが女子の世界に男子も進出している世の中の流れもある。能力の問題でもあるし、上手な生き方の問題でもある。それは男女関係ないといえばない。
俺は男子だが初老で目が不自由だ。だから?そうこれは自分の話だ。俺は国技館の土俵に上がれる資格はあるが、能力がないし、コネもない。人は生まれながらに平等だと、憲法は保証しているが権利としては平等なのが望ましい、という意味だととらえている。
俺は相撲協会は理不尽でいいと思う。特殊な理由がない限り女人禁制を貫いて欲しい。なぜかそうおもう。女性が汚れた存在だからという理由ではない。意味の分からない伝統もまた、なくなると寂しいという、勝手な思いだからだ。
落ち着いていたけれど
なんだか今日は落ち着いていたけれど、なにも思い浮かばない。いいことだ。頭が真っ白だということは、今日はストレスなく過ごせたという事だ。何も不満はない。
こうしてコーヒーを飲みながら小説の続き、何にしようかと考えていると、平和そのものだ。実際は株が下がったり、誰かが死んだり、誰かが公文書を偽造したり、まあそれなりにひどい目に遭っている人もたくさんいて、幸せな日々を送っている人もいて、それは遠い国で起こっているわけじゃなく、まさしく俺の隣でコーヒーを飲みながら、PCにむかってぱちぱちしてる人が、悪いヤツかもしれないのだ。
一言に悪いヤツといっても、悪いヤツってただ悪いだけじゃなくて、いろんな事を考えた結果相対的に悪くなっただけであるかもしれず、それは連続殺人鬼でさえ、時にはいい部分もあるかもしれない可能性を秘めている。
主人公のピンチが必要だ。ジブリでいうとトトロでメイちゃんがいなくなったり、ナウシカで王虫の群が襲いかかってきたり、そうした山場を考えなければいけない。
誰か何か思いついておくれ。そしてこっそり俺に教えておくれよ。
スケッチをした
- 今週のお題「お花見」
- 例年花見の日は寒くなるので、がっつり着込んでいったら案外日中もずっと暑く、結構汗だくになった。西の丸庭園を目指して、うろうろしたのだが、近くまでいって、結局たどり着けず、みんな疲れていたので、ここでもうええやんって事になった。大阪城に陽が射して、順光とい言うのかな。良い光り方だった。
- スケッチしていると隣の大学生グループの一人が俺のゆがんだ大阪城を見て「おお、すげえ」なんていうもんだから、こっちも調子乗って色まで付けちゃって。ホント申し訳ない。最近の小学生でももっとちゃんと描くだろうね。
- 近所で花見をしようかとも言ったんだけど、何となく大阪城に決まって、うちの子供たちは、引きこもりだから、体力がなさ過ぎて、すぐ疲れよる。ホントちゃんとしておくれ。もっと大きなキャンバスを買ってもっとちゃんと細部まで描き込みたい気がする。そうなると、ちゃんとしたイーゼルと、筆がいるのでもうこれは趣味の世界というより、のめり込んじゃってということになる。