長次郎
高級回転寿司の長次郎に行った。俺のおごりだ。俺の小遣いの中から払った。なんだか悔しい。みんな感謝してくれない、ような気がするけど、クソ親父ならばしょうがないのかもしれん。
ウナギを二皿食べた。季節の天ぷらを食べた。ブリとろ、炙り三昧、サーモン三昧、赤出汁、を食べた。食べたものを列挙してると正岡子規の仰臥漫録を思い出す。正岡子規は病人ながらすごい食欲の持ち主で、カレーとか出てくる。牛乳とか。ハイカラなものを好んで食べてたのかな。
正岡子規はどうももう一度違う角度から取り上げる必要のある人物のように思う。子供の頃に習ったイメージといろいろ伝え聞く本人像にだいぶズレがあって、ホントはどんな人だったのだろうかと思う。
長次郎に行ったときタッチパネルの座敷か店員さんに直接注文する座敷か聞かれて、思わずタッチパネルのほうを選んでしまった。コミュニケーション障害というか、人見知りというか、知らない人相手にいろいろ話しかけることを苦手としている我が家のメンバーにはそのほうがよかっただろうけど、社会不適合者みたいな気もする。もっと世間になれていかなければいけないとも思う。
子供が中1なんだけど、むやみにテンションが高くて、少し注意した。はしゃぐ気持ちは分かるけれど、感情表現が常軌を逸してるようで、なんだかネット中毒者のそれみたいで、もう少し教育が必要かもしれん。
デザートにアイスを食べた。サツマイモの揚げたヤツとバニラアイス。ウマッ
わがままを言う
気に入っていた革ジャンが破れて、みすぼらしくなってきたので新しいのを買った。新しいのといっても古着屋で安く買ったので、新しくもないし、良いものでもない。
しかも買ってみたものの、気に入らない。気にいらないからといって、返品できるものでもないし、また売りつけにいこうかと思ったりしている。
なにが気に入らないって、これは革ジャンではなく、革製のコートだ。トガっているイメージがまるでない。金持ちのおっさんが着るヤツの安いバージョンだ。俺はこんなブルジョア趣味の服は着たくない。
そういえば俺は同じ失敗をしている。思い出した。ユニクロでダウンを買ったんだけど、暖かいんだけど、俺のいかれた非常識なイメージに合わない。だからライダースみたいな革ジャンが欲しかったんだけど、古着屋になくて、安いのは、だから、それっぽいのを800円で買った。気に入っていた。俺のイメージに近い感じだった。
だけど・・・・・・ちょっと待て。俺は自分のイメージに対して最近懐疑的ではある。昔のようにわがままに振る舞ったりしない。俺はらもさんを尊敬しあこがれている。だけど、いろいろと支障を来しているところもある。入れ墨はしてない。ピアスもしてない。マリファナもやってない。
私服ぐらい、トンガってもいいじゃないかと思うんだが、それももう歳なのだろうか。おれはいったいどこへ行く?なにを目指す。美しい生き方がしたいものだ。自由な生き方がしたいものだ。愛のある生き方がしたいものだ。
暖かいからといってこのコートを着続けるべきか。自分らしさの檻の中でもがいているんなら、僕だってそうなんだろう
聴かない
最近音楽を聴いてない。目が悪くなって、ずっと音楽漬けで、励まされたり癒されたりしてやってきた。目の調子は相変わらずだが、何かこれって聴きたいって音楽がなくなってきた。俺はもう死ぬのだろうかと思う。
ホント高校生の時にビートルズに出会ってから30年ぐらい様々な音楽を聴いて心の肥やしにして、生きる指標にしてここまできたけど、音楽漬けだった毎日から、ぽんっと抜け出てしまった。
ラジオは聴いてる。落語も、漫才も好きだ。だけど今までは音楽だけが突出して、好きだったんだ。ジャンルに関係なくロック、ポップス、ジャズ、ニューミュージック、洋楽、邦楽何でもござれだ。
生きるモチベーションそのものが低くなってる気がする。もうホントどうでもいい。何でもいいって思い始めてるからかもしれない。俺は嫌なヤツになりつつある。そんな気がする。政治家みたいに右に左に世の中を渡っていく、くだらない人間になりつつある用な気がする。
社会人としては立派に社会に適応していこうとしてるのだけど、それは俺が今まで拒否し、抵抗し侮蔑していたものだ。吉田拓郎がテレビでレギュラー番組を持つぐらいの転向だ。
死ぬと思っていた。でもまだ生きているし、しばらくは生きなきゃならない理由がある。用な気がする。マーシーじゃないけど、お金が無いときゃくだらなねぇ仕事でもしなきゃならねぇ、いろんな人に怒られて頭下げて、這いつくばって生きて行かなくちゃ、どうしょうもねぇ。
政治家はパンクを聴かない気がする。俺が今まで嫌っていた社会は、ストリートファイティングマンなんて知らない気がする。でもそういった音楽業界でさえ商業的にできあがった、インチキな世界の一部のような気もする。商業主義にいたずらに反対したところで、どこまでも追っかけられてからめ取られるだけだ。
金くれよってジョンは叫んでいる。ウィズザビートルズの最後の曲だ。俺の欲しいのは金だ、金がすべてだって叫んでいる。そう思うときもあるし、それじゃあんまり寂しいと思うときもある。
音楽に飽きたら人生に飽きたも同じって誰か言ってた。そんなときはビートルズを聴けって言ってた。なにを聴こうか。ヘルプ?アデイインザライフ?ノルウェーの森?ウィズアリトルヘルプマイフレンドかしら・・・・・・
ふくらはぎにおいて
今週のお題「体調管理」
俺は毎日足専用のマッサージ機でふくらはぎをグリグリしている。そうしないと何も消化できないからだ。
俺はもともと胃弱で、十二指腸潰瘍を二度やっているのだけれど、目の病気をしてから薬を大量に飲むもんだから、胃薬をもらっている。だから余計何も消化できなくて、何を食べても胃がもたれるのだ。だけど、俺のふくらはぎには胃を活発にするツボ、秘孔があってそこを押すとてきめんに胃が動き出すのだ。
だから俺は1日3回はそのグリグリくんにお世話になって、食べたものを消化したいと思っている。
出先では単純にツボを手でゴリゴリともみほぐすのだが、やっぱり物理的にゴリゴリ揉んでくれる方が効果がある。
俺はランナーなのだが最近色々と仕事が忙しく、走れてない。そう言ったこともストレスとなって俺の胃をますます弱らせるのだろう。
坂道が恋しい。ダッシュしなければ…
もう少しだけ
近ごろ朝起きると、なんだかつらいなあとおもう。何がつらいとか具体的にはっきりしてるかと言われれば、そういうわけでもないんだけど、とかくこの世は生きにくい。
漱石はそういったけど、ストレスまみれで、拝金主義で汲々として生きて行くのは、やっぱりつらいことに違いない。両親はまだ健在ででも、病気がちで、そんな両親に頼らざるを得なくて、悲しい気持ちでいっぱいだ。
いいんだぜって、らもさんはいう。俺もそう思う。いいんだぜ。生きていてもいいんだぜ。ポンコツでもいいんだぜ。本当ならば、弱者を救済するのが強いものの立場じゃないか。でも実際は強いものなんかいやしない。金持ちの威張りんぼがいてるだけで、みな怒ってる。人生は戦いなんだなって、生き抜くことは難しい。
アイスランドは幸福度は3位で、日本は51位らしい。当たり前だ。現代日本で幸せなんかになれるわけない。自己の利益ばかり追いかけるだけしかないから、幸せには程遠いね。福祉と宗教がしっかりしてないと、ダメだね。
ルールにがんじがらめに絡め取られて、自分で自分の首を絞めてる。アホな国だ。数字なんて屁でもない。手塚治虫かレイ・ブラッドベリとか読んだことないのかね。
そうは言ってもまだもう少しここで生きていかなきゃならない。つらいことだ。
チミの名は・・・・・・
なんだチミは。チミの名は・・・・・・
ウイ、ワシが浪速のアホンダラです。アホンダラ、アホンダラ、アホンダラ。
そんなことはおいといて、休みの日に3日放送の「君の名は。」を見た。いい映画だった。子供が好きなので、だいたいの筋は知っていたし、オチもわかっていたけれど、楽しめた。
とにかく上白石さんのファンなので、なんでもないやが聴きたくて、RADWIMPSのバージョンもよいですな。最後のところの避難訓練のクダリが雑なように思えるけど、お父さんとお母さんも入れ替わりだった説とかあって、それはそれで、見る人の想像力で補うのかなって思ったりする。「すきだ」って。思い切りがいいのね。
めちゃイケで口噛み酒のパロディみたいなのをやっていたので、西野との確執の時の放送やね、こんな所をパロったんやなって改めて思った。
奥寺先輩が三つ葉やったら面白いというか、やりすぎなんやろうけど、ウルトラC的なもっていきかたもできたのかな。
野田洋次郎のセンスが光る映画でもありました。メロディーセンスがありすぎる。美しい歌。
でも、こんな素敵な映画だからこそ、なんだチミはって思ってしまうのよね。
ウイ、ワシが浪速のアホンダラです。アホンダラ、アホンダラ、アホンダラ・・・・・・