忖度
`相手の気持ちを慮って、行動したり話したりすること。忖度。
こんな字を書くのね。知らなかった。いわゆる空気を読むってことなんだろうけど、日本人は空気を読むことに命がけやね。俺は流石に嫌気がさすけど、喋らないってことは、最近では最大の防御方法だから、周りが勝手に忖度してくれるのね。喋らないと。するとめっちゃ楽できるのね。何も考えてなくても、考えてるっぽくなったり、意図しないことでも、うまく行くと意図したように取られたり、策士みたいなイメージになるのね。それが悪い方向に働くときもあるけど、もちろん喋らないことは、理解を拒否しているから、たいして傷つかないのよね。
俺はいつも書くことだけど空気なんて読んでないから、何となく生きてるんだ。だってわけわからんもの。俺は自分のことが、比較的好きなんだ。そんなこと言うと、ポール・ジャコミンに「自分に対する気配りの過剰」なんて言われそうだけど、しょうがない。
政治家のものだ。お金と政治、現代の病気。もちろんギリシャ・ローマ時代から政治家はいたけど、一億総政治家時代だから、もの言わぬ日本人はいなくなったから。
俺とおしゃべりしようなんてそれは難しい相談だ。
文化の厚み
kai松方幸次郎の絵画コレクションの話を、テレビで見た。僕は何となくだがこの人に共感し、文化の厚みが人を人間をより良くするという、感性に頷いていた。教育というのは学問的な部分だけでは、ただ知識やうんちくを垂れ流す嫌な奴に成り下がってしまうが、そこに文化的な厚みが加わると、その学問や知識がより人間のため人間らしく使われるように思う。
具体的に文化の厚みとはなんぞ、という話になると少し難しくなる。僕は日本古来の文化というか、物言わぬ、寡黙な日本人が好きだ。人付き合いの苦手な引っ込み思案の日本人。そんな日本人にシンパシーを感じる。今は何もかもがアメリカ製で心の中までアメリカ製で、というかコンピューターでできていて、それはそれでいいのかもしれんが、コンピューターという文化はできてまだ、二,三十年そこそこなのだから、成熟度としてはエラく下で各国固有の文化の方がより厚く、そしてそれを受け継ぎ勉強し守ることそのものが、人間味を作り出すのだろう。
ヨーロッパで印象派の絵画を買い集め、日本に紹介しようとした松方幸次郎はバロックやロココの絵画ではなく、印象派に人間回帰の想いを寄せたののだろう。お金持ちの道楽としての絵画ではなく庶民の文化としての絵画を普及させて文化の厚みを増そうとした。
絵を見ること、本を読むことは、他者の理解を助ける。もちろんわかった風になる事も多いけど、ぜんぜん知ろうとしないよりもいい。他者の文化も理解した上で人とつきあうのだ。
いつもかくことだけど、今は自分の主張ばかりで自己保身にみなしがみついている。エリート主義ばかりが台頭し、一般人はカス扱いだ。
情報を選べるようになった僕らは、マスコミを脅して聞きたくないことを拒んでいる。それじゃだめだ。ゴッホを読み、ダ・ヴィンチを歌い、ジョン・ウイリアムズを観て、宮沢賢治を奏でるんだ。
仕事帰り
仕事帰りにCAFEに寄る
最近遅くなる日々が続いていたので
遅くまで開いているいつものCAFEが
改装中で閉まっていたので
家にまっすぐ帰り明日のために
ご飯食べて寝ていたのだけれど
CAFEの改装が終わり
きれいになったので本日はいつもよりも遅い時間ながら
これを書く
ライトがまぶしくて、椅子やテーブルがきれいで
コンセントがあって
書きたいことは思い浮かばず
だらだらしている
周りはおしゃべりに夢中で俺は聞きたくないから
イヤフォンを耳にねじ込み
音楽を聴こうとしたのだけれど
それすら鬱陶しくなり
もう少し書くか、もう帰って寝るか考えている
君は元気だったか
マッサージ機が壊れ
足のむくみがひどい
もうかえろう、少なくともご飯があるし
寝床もある
明日病院にいって
俺が正常かどうか診てもらおう
ミレー・モネ・ゴッホ
ボストン美術館展に行ってきた。目があんまり機能してないので展覧会に行くのは、少し無茶な気もしたのだけれど少しは心に栄養を入れないと、人間がだめになってしまうので、とりあえずがんばって神戸市立博物館に行ってきた。
様々なジャンルの物を持ってきたらしく、エジプト、中国、日本、印象派、アメリカンアート、現代美術まで一通りあった。一気に見たので印象がアレなんだけど、一番好きなのはやっぱり印象派の絵画なのでそのことだけ少し書きます。
ミレーの作品がいくつか最初にあったのだけれど、落ち着いた色調に農民、労働者が描かれていていかにも自分の知っているミレーのイメージそのものだった。細かいところはよくわからないので、逆に良かったのかもしれない。
モネの作品も結構あったが今回きている作品はあんまり、僕にはぴんとこなかった。ルーアン大聖堂は前に美の巨人たちで見たことがあったので、おおこれか、と思ったのだけれど、微妙な色調がわからないので、モネやルノワールなんかは僕には少し難しいのかもしれない。
ゴッホも二枚あった。ゴッホはけっこう濃い色使いで描いてくれるので、僕にはわかりやすい。アルルの郵便配達夫とその妻がきていた。その濃さにやはり魂を感じるのだ。青、黄色、赤。
はっきりとした輪郭で浮かび上がる存在感が好きなのだ。油彩画ならではの立体感を感じる。
セザンヌの静物画、ドガの踊り子などもあった。その他様々な年代の美術品があったが、一つ一つ書くにのは疲れるし、俺はもう眠い。
印象派の絵画はやっぱりいい。ロックンロールに似ている。モネなんかはリトル・リチャードのようだ。
その選択
たまむすびのコーナー、のるかソングかで今回はクイーンの特集だった。音楽評論家の高橋ヨシアキさんの予想と僕の予想は同じで1位2位3位順不同で、ボヘミアンラプソディ、ウィーウィルロックユー、ウィーアーザチャンピオンズの三つだった。
クィーンの代名詞ともいえるこの三曲でほぼ間違いないだろうと思っていたら、さすがにたまむすびのリスナーは一筋縄ではいかないみたいだ。たまむすびは年齢層が高いのでクィーンのことをそして、たまむすび金曜日の事をふまえての投稿だった。
三位、「teo torriatte(let us cling together)」という華麗なるレースというアルバムに入っているサビのところが日本語の歌詞の曲だった。クィーンは日本びいきで云々は余所で書かれている物を読んでもらうとして、一ひねりして投稿してくるリスナーはさすがだね。日本限定シングルなので世界的な認知度は低い。だけどやはりラジオリスナー侮るべからず、奥が深い。
二位、「bicycle race」こちらは有名な曲だし世界的人気も高い曲だけど、二位になるほどっていうとそこまででもない。じゃあ何でのるかソングかで二位に食い込んだのかってことなんだけど、やっぱり玉袋筋太郎が競輪ファンであること、金曜日の別コーナーに競輪ロッキーってあるぐらいだから、やっぱり金曜日的には「自転車レース」って曲は入れないとね。わかりますよ、リスナーのみなさま。ツボを心得ていますな。こちらの「bicycle race」は競輪じゃなくてツールドフランスの事ですが。
一位はこれは王道の「ボヘミアンラプソディ」でしたね。ダントツの一位みたいでしたが、フレディーの命日だったのでこれは当然でしょう。フレディー・マーキュリーのエキスがたっぷり詰まった曲だから天国でジョージ・マイケルと一緒に歌ってるんじゃないでしょうか。
命日ってところもちゃんと押さえて投稿するのが、よくできたリスナーってことでいかかでしょうか。
久しぶりに難波にきた
久しぶりに難波にきたら何もかも変わっていて、訳が分からない。ジュンク堂がドン・キホーテになっていて、俺は買いたい本があったから12分ぐらい歩いて、JRの難波の駅の方にできたジュンク堂まで行ってきて、今戻ってきてカフェでコーヒーを飲んでいる。俺はこれから難波で友達とご飯を食べるのだ。
7時半に待ち合わせ。あと三時間ある。
あんまり遅い時間に外にでるのは嫌だし、一人で知らない街にきて、時間をつぶすのもなにかしら、鼓動が早くなりパニック症的な感じに近づく。
そういう意味では病気は僕にひどい爪痕を残してしまったが、それでも何とかやっていくしかない。ところでここのカフェの照明がアホみたいに強すぎて、頭がおかしくなりそうだ。まぶしいというレベル超えている。イライラとさせる原因がここにもある。
昔はミナミで待ち合わせで、時間をつぶすとなると、ジュンク堂で足が痛くなるまで、立ち読みして軽い読み物なら、一冊全部読み切るぐらいの勢いで、居座っていて、というかジュンク堂自体が待ち合わせ場所だったことも多い。
ノラ・ジョーンズを流しながらリラックスしようとしているが無理みたいだ。ソラナックスをもってくれば良かった。むかしドラマで見た取り調べ中に、卓上ライト当てられてる容疑者みたいになってきた。
移動した。200メートル先の別の会社のカフェに移った。
相変わらずどきどきしているが、ここは落ち着けそうだ。パーソナルスペースが多いし、椅子がいい。
難波で買い物してご飯食べて帰るのが大冒険になるなんて、夢にも思ってなかった。
今日も無事に一日が終わりますように、できれば少しだけ幸せな気分になれたらいいな。