元高校生

今週のお題高校野球

僕らの世代で高校野球といえば、桑田、清原のいたPL学園だ。桑田、清原は僕よりも少し年上で、小学生だった僕は一年生ながら活躍する二人を見て、憧れみたいなもの、自分も数年したらあんな、ヒーローになれるのだろうか、とぼんやり考えていた。

高校球児が眉毛を整え始めた時に、僕はとてもおじさんになった気がした。高校球児はそういうオシャレさとは対極にある存在だと思っていたから、寂しい。

月日は流れ、桑田はなんかわけわkらん宗教家みたいな感じになり、清原は大麻かコカインかで捕まり、ヒーローは落ちていき、僕も病人で他人のお情けで生きているような状態で、とても残念だ。

高校野球の本質は運動をよくし、健全な身体と健全な肉体を手に入れるために、あるはずなのだが、建前上は、でも今は高校球児は金のなる木でそこに利権もあって、大人の事情が見え隠れする。

楽しみの延長上のスポーツはいまは、あまりない。誰かとつながったり、誰かと競ったり、自分と戦ったり、お金とあんまり関わらないような生き方をすることは、最近では難しくなった。データ、ロジック、マネジメント、カタカナばっかりで、僕はただ何も考えずに走りたい。長距離ランナーの孤独ってどんな話やったっけ。

復活

なんやかんやありまして、タブレット君が復活しました。暑かったからでしょうか、連打したのにだめで、家に帰って、ACのコンセントにつないで、長押しを三回してやってやっと、タブレット君が復活してくれました。

これでやっといつもの文章と、小説の続きがかけます。

些細なことがうまくいかなくて、イライラしてみたりするのだけれど、よく考えたら、そんなに怒ることもないようなことで怒ってたりして、なんだか自分をコントロールするのが難しくなっているのでしょうか。

安定剤と睡眠薬とビール一杯に囲まれて、僕はまた泥のように眠りに落ちて、朝起きたら会社に行きたくないような、行ってももう、しゃあないような、そんな気分になるのだろう。

ツールの第20ステージのTTを見ていた。栗村さんと中野さんが解説でサッシャが実況で昔話が面白かった。若かったころの中野さんや栗村さんの話は狭い世界で、互いに支え合ってた人たちの仲間意識が感じられて、おじさんはうらやましい限りだ。

昨日はうまく寝られず途中で起きた。途中で起きて二度寝できないときは、会社についてもベロベロででも半分意識がないので、余計なことを考えなくて、メンタル的にはいいときもある。仕事は運任せでうまく行くように願うだけだ。

タブレットが死亡した

今日タブレットが死亡した。休みでヨドバシカメラに行ってて、帰って来ていつものカフェに来て、ニョロニョロ書こうとして、立ち上げようとしたら、全然立ち上がらなくて、どうしようもなくて、現在に至る。なぜだ。パソコンも死んだのに、何もかけないじゃないか。

何もかもうまくいかない。バカみたい。

ライクアローリングストーン

今週のお題「ちょっとコワい話」

僕は少し前までロードレーサーに乗る自転車野郎でした。休みの度に100キロ以上のライドをこなし、近所の山を登りまくり、年に3回ぐらいヒルクライムの大会にでて、順位もそこそこで、上位四分の1に入ったりしてました。

朝四時半に起きて、一時間ぐらい練習して、仕事して、また一駅前に降りて走って帰る、みたいなアスリート生活を続けていました。

で、コケました。何回かコケましたが、最後にコケたときに、ちょっとした怖い?話があります。

右の頬をしこたますりむいて、かさぶたができて結構長い間治らなかったんです。おかしいなー、なんか変だなー、って思っていたら、かさぶただと思っていたものは、黒い小さな石でした。二ミリ大ぐらいの石でした。三週間以上、入っていました。

顔に石が埋まっていても、特になんの支障もなく暮らせるものだと、何となくそう思って、怖い感じしません?

SAN値

SAN値というのを今知った。正気度を示す値というのは、いったいどういうものなのか?子供がすべての人間はイカレてるとラインしてきた。だからどうやねん。そんなん30年前にきづいてたわ。でも色即是空、空即是色、雲を掴むような話や。イカレてるからって宿題やらんでええって言うわけには、いかへんで。

正気であるという状態はどういうことか、統合失調症ではないということか。世間のルールからどれだけはみ出るか、そういうことなのか。論理的につじつまが合わないことを言う、それだけで、正気ではないのか。SAN値直葬という言葉も出てきた。

ネットの世界はもはや言葉が一人歩きして、深く意味をなさないまま、おもしろおかしく氾濫していく。そしてその拡散するスピードが尋常じゃなく早い。

オッチャンは尿酸値が気になるけれど、正気であるかどうかは他の人の判断に任す。

台風

台風がきて本日は、早じまいになった。なんか小学生に戻ったようなワクワク感で、台風を待っていた。本当ならばもっと早くに終わっていたのだけれど、まあちょっとだけ偉いさんになると、帰れるものも帰れないので、下の子たちの面倒を見るというのか、そうなのか。やっぱり日本的な、横一列、ミギへならえ、そういう風習からは逃れられない。

そもそも台風の日に早く帰らされても、うちは木造二階建ての一軒家で、会社は鉄筋コンクリートの4階建ての会社で、家にいるよりも、絶対会社の方が安全ではある。流されることも、壊れることもないだろう。

家には大事なものがたくさんあるし、金品財宝がある訳じゃないが、思いでの品物もある。だからそういった貴重品を、どこかに避難させれば、家よりも安全なところにいたい。

明日の朝も台風の影響があるらしいが、この災害って難しいように思う。昭和46年生まれの、おじさんはもう近代的な都市に生まれたので、危機管理という面では、あんまり、ガードが低い。

花火

むかし若い頃、彼女と花火大会に行った

そのとき友達と行ったのに、僕は彼女の膝枕で花火をみた

写真を撮って、彼女の横顔があどけない

浴衣を着た覚えはない、近くで見てもみくちゃになって

屋台で何かを買いたいような、無理だったような

暑くて、座るまでが長くて、花火が打ち上がるまで

長い間待たされて、花火見るまでにつかれてて

うち上がったら、それはそれで近くでみるやつは

迫力があって、なんかスゲーっておもって

いろんな形があって、僕はなんだかよくわからないまま

彼女がいて嬉しくて、舞い上がってて

じっとりと汗がシャツにまとわりつくような感じで

火薬のにおいと彼女のにおいと、焼きトウモロコシのにおいが

いっしょになって、僕は夏の花火は卒業したような気になって

遠くから見るだけになってしまって

それでもまだ花火には何かしら人を、ちょっと動かす

何か特別な物があって、だいぶテンションのさがった人間になった僕でも

今日は少し見てみようかと思うようになった

少しは見えるだろうか、少しは楽しめるだろうか

おにぎりをたべようか