なんでもないや

今日もいやがる娘を無理矢理起こして学校へ行くように、説得した。なぜ説得しなけりゃ、学校へ行かないのか、もうそれは俺の精神が崩壊するのが先か、彼女の引きこもりが勝つかの戦いでもあるんだけれど、何かを変えるためには、長く厳しい戦いをする以外に方法はないのだと思う。

いつも思うのだ。何事も時間がかかる。でも時間をかければきっとわかってもらえる。そんな日が来る。俺は清志郎の歌のようにそう思うのだ。おれは戦い続けるのだ。俺はチャンピオンではないけれど、最後まで、オレなりのやり方で、そう重いギヤで六甲山をギリギリと歯を食いしばって登るように、ゆっくりと汗をかきながら、一こぎ一こぎ力一杯踏ん張って、前に進むのだ。

今日よりも一ミリでも前に進んでいたら、オレにとっては、明日はもっといい日になるだろう。

良かったような、そうでもないような

今週のお題

僕は関西ではそこそこ有名な大学に進学し、4年で卒業した。そして新卒で就職をした会社を半年で辞め、大学に戻り先生の手伝いなるものを数年やって、それもやめプラプラと何もせず半年ぐらい暮らした。

今思うと、間違った選択というか、良くない方向に向かって人生の舵を変えていったのだと思う。しかし当時の僕、今の僕もそうだが、どうにも人が苦手なのだろう。心の奥で人嫌いが前に出てしまい、積極的にいい選択をはずしてしまう。

俺はおかしな人間で、人に合わすのが苦手だ。そういう人間はいっぱいいるとは思うのだが、それでもみんな何とか、社会生活を送っているのだろう。

その後大病し、今は半隠居生活を送っている。

半年家にいて、昼頃起きて炒飯を作った。ほとんど毎日作った。バリエーションを増やし、レタス、卵混ぜ、甜麺醤、豆板醤、いろいろ調味料も試してみた。

20代の合計2年間ぐらいおれは全くのプー太郎で、まあいってみればそのつけが今まわりまわって、俺をじわじわ苦しめているのかもしれない。しかし元来俺は脳天気で先のことは気にせずなるようになるさ、と生きてきた。いいのか、悪いのか、そんなことはどうでもいいのだ。今自分にできることをする。

もし俺がジョン・レノンみたいに主夫になったら、ご飯を食べに来ておくれ。

書きたいこと

先日亡くなった小林麻央さんについて、小田嶋さんが少ししゃべっていたのと、中国でノーベル平和賞をもらった劉暁波氏がガンで死去した件で少し思うところがあり、今日は今週のお題でもやっつけようと思っていたところを変更して、少しつぶやいてみる。

小田嶋さんは闘病中の人間が持つ、シンプルさ、余計な物を選べない状況について、また生きること、それを書き残すことのシンプルな文章についてとても良いブログだったと言ってました。僕は小林さんのブログは読んだことはありませんが何となくどういうものかわかります。

僕も失明して入院している間、同じような文章をスケッチブックにマジックで書いていたから。自分では読めなかったけれど、たぶんこう書いてあるだろうという感覚で書いていた。内容は今の病気と切実に向き合い、治るのか死ぬのか、見えるのか、見えないのか、これからどうするのか、子供のこと家族のこと、それらを赤裸々に切実にかいていたからだ。そこにはなんの飾りもなく、不安、希望、悲しみ、喜び、それらがストレートになってない交ぜになって、ぶつけられていた。

劉暁波さんのことは今回のことで初めて知った。いろいろプロフィールを読んでいると、とにかく中国の民主化のために尽力したことが伝わってくる。「私には敵はいない」単純にその言葉だけでも、彼の人柄が伝わってくる。政治犯として何回も中国共産党に捕まりながら、敵はいない、として反体制ではなく非体制として行動していた、と聞く。自分の力の大きさ強さ、そして知恵の使い方をよくわかっていたのんじゃないだろうか。

とにかく僕はこの二人に共通するであろうなにかを感じた。憎しみという概念がこの二人からは見えてこないのだ。あくまでも懐の深い愛情豊かな人たちで、僕は見習いたいと思う。

動かない

体が動かない。物理的に動かないのではなく、運動能力が落ちている。今日、朝いつものように10キロ走った。だけど走り出しも重く、心拍も上がらない。朝から気温が高かったせいもあるのかもしれないけれど、本来上がるべき心拍数のところまで上がらないし、最後のラストスパートであげるべきスピードまで上がらない。

ただただ苦しい時間が続く。先週の日曜日以来のランとはいえ、ここまで走れないのは、ちょっと寂しい。

珍しくその後、少し寝た。買いたい物があって梅田に出ようと思っていたのだけれど、子供が昼頃に帰ってくるというので、家にいた。ツールドフランスを見ようとビデオをつけたのはいいが、すぐに寝落ちしてしまった。

薬の加減であんまりゆっくり寝ることができない。眠りが浅く睡眠薬を常用している。俺は生きていくには、はなはだ不自由になった。だからシンプルに生きよう。そんなことはどうでもいいか。

良い歌があれば生きるのはたやすい。そうだろう?フレディ。

嫁のバイト先

嫁がバイト先を変える。我が家がもろもろの事情で台所が厳しく今のパートでは、なかなかそこまで時間を入れてもらえないからだ。

新しいバイト先は長く働くことができるらしく、おまけに日曜休みで朝から動ける。とにかく我が家に再び調和というか、なんというかやってくるかもしれない。

時給千円。今までが今までだから、どうなるかわからないけれど、彼女は比較的忍耐強いので、最後の最後まで頑張ってくれるだろう。

後は子供たちの心配をしなけりゃならん。なかなか一筋縄ではいかない子供たちなので、だましだましやるしかないか。

怖くない

人は理解できな物を怖がる。見えない物を怖がる。言い換えれば理解できれば、何も怖くない。見える物は怖くない。

古来神様、お化け、雷、など、理解できない物は神聖なものとして、畏怖の対象であった。しかし現代ではそういったもろもろは科学的に解明されつつあり、みんな怖がらなくなった。現代で今一般的におそれられているのは、細菌やウィルスだ。細菌やウィルスは目に見えないし、発生のメカニズム、伝播の方法などわからない部分が多い。だからみんなやたらめったら、除菌、殺菌したがる。もちろん悪性の菌やウィルス二かかれば病気になったり、ひどいときは死に至る場合もある。だから怖くても当然といえば当然なんだけど、それを言えば、自動車も自転車も致死率で行くとエボラ出血熱で死ぬよりか、遙かに高い。自動車事故死で調べたけれど、交通事故、死者数は平成27年度は4117人で一日平均11.?人だった。

俺たちは本当は細菌よりも自動車の方を怖がらなくてはならない。でも日本から自動車産業やそれに関連する仕事を奪ってしまうわけにはいかない。みんなが車を買わなくなったら、死亡事故は減るだろうが、日本が少し貧乏になるだろう。

俺は細菌もウィルスもそんなには恐れてはいない。俺は昭和生まれの子供で道に落ちたアメちゃんだって平気で食べれる。

大掃除その二

昨日子供部屋を大掃除した。姉の部屋だ。弟の部屋はこの前やったから、今度は姉の部屋だ。

いろんな物がたまっていて、だいぶ驚いた。ペットボトルは6本ぐらい。あと水筒。スリッパ二足。タオル、バスタオル、中学校の時のスカート。小学校の時の教科書、ノート、プリント、付箋。俺のマンガ、嫁のマンガ。脱いだ服のオンパレード。ひどい。ひどすぎる。

片づけられない原因は一つ。判断ができない。捨てるものと、いる物の判断ができない。それに行動が遅い。いますぐやらなければならないことでも、後回しにして、それでなにもかも、詰まっていって、山積みになる。

早く早く、と思うのだが、ギリギリまで何もしないのは、嫁の遺伝だ。間違いない。漢字が書けないのは、俺の遺伝だけど。それは俺も親父から受け継いだ伝統だから、しょうがない。

漢検6級の勉強をしている。だいぶわかってきた。10月にある試験は5級で受けようかと思う。