クリストファーソン

クリス・クリストファーソンを買った。少しカントリーよりの曲を聴こうと思って。ノラ・ジョーンズが好きでクリストファーソンを知った。リトル・ウィリーズからのあれやね。ホントはウィリー・ネルソンを買おうとしたのだけれど、ベストっぽいものを探していたから、それに該当するものがなくて、クリストファーソンになった。

フォーク、カントリーってちょっと難しい。メロディーやリズムが単調で繰り返しが多く、まあいってみればみな同じような曲に聞こえる。

問題は語学力にもある。もっと英語が堪能であれば、歌詞によって曲の差別化が図られるのかもしれないけど、そこまで英語がわからない。よっぽど心の琴線に触れるような曲じゃないと歌詞まで丹念に調べないので、結局あんまり聴かないままiTunesの中に眠ってしまうことになる。

昔はもっと音楽聴くにも余裕があって、一曲づつ歌詞カード見ながら聴いていたが、またそういった聞き方をしたほうが良いのかなと思う。

でも基本はアコースティックな音楽なので、お腹いっぱいにはなりにくいのかな。

イヤホン

イヤホンのことで少し。わりと良いBluetoothのイヤホンを使わしていただいてます。ソニーのMDRーEX750BTの赤いやつです。品質には問題ないし気に入っているんですが、どうもよく外れると思ってたんですよね。それで付属のイヤーパッドを小さいものに変えて使ってたんです。たぶん最初に着いていたのがMでそれをSに変えて使ってたんです。それでも上下動が多いと外れるんです。よくランニングするんですが、走りながらよく耳に押し込みなおすんです。

音楽を愛してるんです。ポップス、ロック、ジャズ、カントリーすべて好きなんです。ラジオも聴くんです。あんまりテレビは見ません。目が不自由なんで長時間見れないんです。疲れるんです。

あんまりにも外れやすいんでこれは使い方が間違っているのかもと思って、サイズを小さいやつから、大きなやつに変えてみました。つまりMからLへ変えてみました。

するとどうでしょう。ビフォーアフター的にはそんな感じ。今日ランを10キロ走ったんですけど、一度も外れませんでした。

思いこみって怖いですね。

数学的にいって

僕たちはもはや数字の虜になってしまった

どこに行くにもお金や時間を気にして

他人の視線を気にして、見た目を気にして

平均値をほしがる。クラスの3分の2の生徒は

○○で4分の1の生徒は××で5パーセントは・・・。

ここから学校まではバスで何分電車で何分徒歩何分

学割がなんぼで定期がなんぼで、こっちのコーヒーは

なんぼやけどクソまずくて、こっちのコーヒーは

高いけどうまくて、でもWi-Fiがとんでないから

あっちの店には何がなんぼで、何時間。

皆自分でものを考えることを放棄しているようにおもわれる

多数派が正解じゃないんだよ

俺は間違ってるかもしれないが自信もって生きている

だから今しかできないことをやるんだ

マイノリティ

マイノリティの気持ちが分かる人が、優しい人だ。でも・・・。同情って難しい。

珍しく政治の話をしよう。優しさってなにか。俺は困ってる人を助けることだと思っている。自分より遙かに困っている人を助けることが優しさなのだろう。僕はそれをいいものだと教育されて育ってきたし、今更その方針を変えるつもりもない。

マイノリティになったんだよ。でも、人間と言う生き物は多かれ少なかれ誰もがマイノリティになる。老い。老人。病人になるのだ。そしてそのとき初めて弱者の立場を知るのだ。弱者、言葉にすればすごく、嫌な感じの言葉だ。つまり人の助けがないと生きていくことが困難な人たちのことだ。でも、人は皆誰かの助けを受けて生きている。多いか少ないかの違いだけだ。

さてトランプさんが世間をにぎわしている。僕は対岸の火事を見るようにこっちに火の手がこないように祈るばかりだ。自己の利益を優先しすぎる人々。ワスプの利益を守る人。ヒューマニズムって知ってる。ピューリタンって知ってる。

いつも書くこと、なにもかも変わってしまった。インターネットによって。皆その怖さ、ややこしさがわかってなかった。ライ麦畑の捕まえ役はいったい誰なんだ。

付いて来た

娘の行く高校の制服採寸があるというので、ついて来た。たまたま休みがあったので来ることになったわけだけど、きてみたらすごい浮いてて、めっちゃ困った。はずれのロビーの奥の椅子に座って時間を潰した。

娘の通う高校に初めて来た。運動場らしきものがなく、都会のビルっていう現代の流行りの高校っぽい。

この前梅田に出た時、大工大の梅田キャンパスみたいなのがあって驚いた。俺が知らない間に世の中がどんどん変わっていって、もうそれは毎日ブログで書いてるぐらいだけど、ついて行く気もないし、ついていけないけど、学校ってぼくらの時はそういうんじゃなくて、ちょっと郊外にあって広いキャンパスがあって銅像があって、散歩道みたいなのもあって、ぼくがいってた大学は日本家屋みたいなのもあって、落語家さんを呼んで、一席やってもらったこともあった。

20年前と今と比べてもしょうがない。それはわかっているのだけれど、何もかも経済活動のために世の中が動いているのが気に入らない。お金、お金、お金の世の中になった。でも、気持ちはわかる。お金がないと自由を手に入れられないからだ。お金で手に入れられる自由が、現代のストレスから逃れられる最高の方法なのだ。

僕の高校時代が良かったとは思えない。事実この前会った大掛かりな同窓会に参加しなかった。それにはいくつか理由があって、俺がアウトサイダーだからだろう。だけど環境を含め建物の雰囲気などいい感じの高校だったように思う。それはノスタルジーってものだろうか。

やめようか

今週のお題「卒業」

この支配からの卒業と言ったのは尾崎豊だけど、僕の息子、娘が卒業する。中学校と小学校を。あんまり学校行ってなかったみたいだけど、まあそれはそれでいいのかもって思えてきた。なんでも完全にこなすのは無理だし、自分の限界との折り合いを見つけて生きていかなきゃならないのは、大人になって苦労するよりは今苦労したほうが良いだろう。できるなら、普通というか真面目に行ってくれるのが一番いいのだけれど。今社会は難しい局面を迎えているのかな。それとも昔からこんなだったのかな、よくわからない。

僕は生きることから卒業しようと思っている。おお、心配はいらないよ。自殺しようとしてるわけじゃないから。うまく言えないけど、積極的に生きることから卒業しようと思っている。僕の人生僕が作り上げていくのではなく、他人に操作されて生きようと思っている。そう、いろんな事を他人任せにするのさ。自意識過剰な人間だから、すべて丸投げでもちょうどいいかもね。少なくとも仕事の面ではもう、オールを失ったボートのように漂って行くだけだ。

シンディ・ローパーみたいに忌野清志郎みたいになれなかったけど、俺は詩人でたくさん詩を書いた。誰も読まなかったけど、それは俺の詩がヘボだからだろう。詩人としては無名であることは恥じることではない。

僕は今の僕から卒業するんだよ。

君もついておいで、つらいこともある。悲しいこともある。でも楽しいことも

嬉しいこともいっぱいあった。また半分こすればいいじゃないか

年老いたって事

いつか皆自分が年老いた事を知る。それは女子との関係が先輩と後輩、上司と部下だけになったときに感じることだ。俺は会社と家の往復以外寄り道しない。行きつけの居酒屋かなんかあれば出会いもあるのだろうけど。

会社の女の子に手を出すことはできなくはない。それなりに俺のことを悪くないと思ってくれる人もいるだろう。だけどこっちから、あんまり深入りしないようにしている。仕事、趣味、女性、どれも充実していたら、最高なんだが。

病気して以来人を避けるように生きている。それはあんまり良くないことだ。だけど、目の不自由な46歳のおっちゃんは若い子の相手をするにはもう、限界なのかな。

だいたい俺は感受性が鋭いのだ、と自分で言う。こんな世の中だからこそ、目立たず、出しゃばらず、裏方に徹して、まわりをサポートできるようなそんな、心の大きな人になれればいいのかなと思う。